独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

「おじいちゃん」にすっかり慣れた

私にとって孫の存在はまことに大きいものです。今年小学一年生となった”長男の長男”を筆頭に今年の誕生日で7歳、4歳、4歳になる3人です。「おじいちゃん」と呼ばれることにもすっかり慣れて違和感がありません。f:id:fpclu:20200823103234j:image

「♩なんでこんなに 可愛いのかよ 孫という名の 宝もの♬」と唄う「孫」という歌がヒットしたのは1999年らしいけど、そのころ私の子供らはまだ10代であり私自身は45歳、もちろん「孫」などを意識することは皆無でした。あれから20年余「なんでこんなに可愛いの」を実感していること、その成長の過程に関わりを持てることは、大いに感謝すべき状況だと思います。そして孫と関わる時間のおかげで、私自身が少しだけ成長できたように思います。

 

小さな子どもがギャン泣きするのも、何かとイヤイヤになるのも、グズグズするのもすべて何らかの理由があるのだという認識。聞き分けが悪いだの、我儘ができないだのと大人は言うけれど、小さな子供はそのほとんどの時間を「やりたいようにできず、我慢を強いられている」という事実。

親の指示・命令に対して抵抗することは自立心の芽生えの証だということ、今すぐ欲しい、今すぐやりたい、の欲望を抑えられるようになるには、脳の発達との関係でかなりの時間を要するのだということ・・・・などなど。

昔と違って手軽に手に入れられる多くの情報から「子育て、子供の成長」に関するものを選び、少しづつ理解できてきました。毎日毎日、朝から晩まで子どもの世話に追われ続ける親たちとは異なり、たまあに孫たちをお預かりするじいちゃんばあちゃんだからこそ、冷静な状況判断と合理的な戦略(?)をもって余裕で対応することが出来る。

泣きわめく子供の姿すら「なんて可愛い!」と感じられるようになってきたのです。自分の子供が小さかった頃にはあり得ない対応なのです。特に男親の私には・・・。

 

日々少しづつ「分からなくなってゆく老親(95歳)」との交流と、日々少しづつ「色々なことが分かるようになっている孫たち」との交流のおかげで「人の一生」について哲学するようになった今日この頃の私です。