独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

わが街・国立

北海道が「第二の故郷」と書いたばかりだが、では第一は?と自問すると、私は即答できません。生まれ故郷の博多!と言いたいところだが、3歳まで居ただけの私には全く記憶がありません。または幼児時代の世田谷の池ノ上か?小学校時代の仙川か(2年ほど居住)、はたまた中高大と新婚時代を過ごした杉並の実家なのか?

どういうわけか私はいづれにも自分の故郷という感慨を持てません。故郷というのは「ウサギ追いしかの山と、こぶな釣りしかの川」が無いと実感が湧かないのだろうか。実家の近くを流れる神田川には鯉はいるけどね・・。

故郷が無いというのもなんとなくさびしいので、この際「第一の故郷」を決めることにします。訳あって実家を出て以来、現在まで37年間暮らしている国立市です。

実家から出ることになった経緯はともかく、これから何処に住もうかと親子3人で車を走らせたが、東方面に向かう選択肢は無く、西へ西へと進むうちに行き着いたのが中高6年間通っていた懐かしの国立だったというのが移住地決定の理由でした。

駅南口から東南に延びる旭通の駐車場に車を停めて飛び込んだ不動産屋さんは松本不動産だった。(今でもあります!)そこで紹介された貸家はものすごく歴史を感じさせられる平屋の二軒長屋の西側のおうち。玄関入るとすぐにキッチン(炊事場)でその先に風呂場が見えている、四畳半・六畳間・畳二畳分ほどのお庭に物干しスペース、これで家賃が駐車場共5.5万円でした。この家は入居時に歴史を感じたあの頃からすでに37年経過してまだ健在ですから、日本の木造家屋は実に丈夫です!!

 

長男が小学2年生になるころにミカン箱式ではなく勉強机を買ってあげよう、机が置ける広さの家に引っ越そう、ということになり、脱サラ転職して所得倍増した時期でもあり住み替えたのは家賃19万円の借家でした。失礼ながらかなりコストパフォーマンスの低いそのお家とは2年くらいでサヨナラしました。その後子供達の成長に合わせて引っ越しのたびに部屋数が増え、逆に子供の独立によって部屋が減るという経緯を辿りました。今の家に落ち着くまで、国立市内で4回の引っ越しを経験しました。

 

思えば最初の家が国立高校裏門のすぐ向い、2軒目が一橋大学グラウンドの向い、3軒目が息子らも通った第3小学校の隣接地(居間から教室が見えた)、4軒目はママの森幼稚園(息子ら卒園)から徒歩3分だったのは偶然ながらもさすが「文教地区・国立」です!そして更に今の家も、鉄道総合技術研究所「国立研究所」から南180mに位置しております。それがどうした??・・・・でも何となく誇らしいような気分です!

自分の母校(中・高)が自宅の徒歩圏内にあるのは、なにかノスタルジックな感覚を覚えて気分が良い。

多摩地区では有名な「国立駅の三角屋根」「桜と銀杏並木の大学通り」「有形文化財の講堂を擁する一橋大学」「歴史ある谷保天満宮」蛍やザリガニなど多くの生き物が生息する「ママ下湧水公園」多摩川河畔まで続く多くの農耕地、そして私も常連となっている「国立温泉」・・・心を癒してくれる多くのものが点在するのです。そうだ、私の故郷はわが街・国立なのだ!