独立FPの独白ブログ

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■報道しないのも自由?


「報道の自由」は憲法に規定される表現の自由を背景としており、更に情報の受け手の側、つまり国民の「知る権利」とも密接な関係にあります。報道をその任務とするマスコミがその機能を果たすということは、ただ単に「自分の思いを表現して自己実現を達成するという権利」だけではなく、国民の知る権利を充足させる機能を果たす側面があって、それが職業としてのマスコミの本来的な役割なのは当然です。
ですから、マスコミには「報道の自由」が保障されると同時に「報道する義務」も当然に負っているのだと私は考えます。


ところが、現実の世界でマスコミが日々やっていることは、「多少のリスクがあろうとも金になることは大いにやる」のであり、「儲からんことにはあまり力を入れず」、それがいかに「正義のためであろうともリスクを犯してまであまり儲けになりそうも無いことは報道しない。」のが常識となってしまっているように見えます。


ここ数日で早くもすっかりその存在が忘れられつつある「チョー影の薄い」安部首相が突然の辞任表明をした当日、夕方ころから「某週刊誌のスクープ」が辞任表明のタイミングを決定付けたのでは・・・という疑問がそこここで語られていました。
ところがNHKはまあ別格としても各テレビ、ラジオの報道番組、ニュースコーナーではほとんどそのことに触れられることはありませんでした。週刊誌ネタなど取り上げませんよ・・・ってことですか? 


あの日の翌日私は久しぶりに発売したての「週刊文春」を買いましたし、その週末の土曜日には「週刊現代」も買いました。
文春には「日本の首相が様々な政治判断に際して、ある新興宗教の教祖?のアドバイスを受けていた」という衝撃的なお話が掲載されており、週刊現代には「日本の首相が、亡くなった父親から多額の資金を相続税を払うことなく引き継いでいたらしい」と書かれていました。


参院選大敗後も堂々と居座りを断行した意志の強い安部首相が、健康面や四面楚歌の状況展開という面があったにせよ、あの最悪のタイミングに辞任表明したことのかなり大きな直接的原因ではないかと疑うのが普通の人間の普通の感覚だと思うのですが、マスメディアは、そのことをほとんど「無かったことのように」無視し続けましたね。


先日ようやくTBSラジオで週刊現代副編集長へのインタビューという形でこのことについて触れた番組がありましたが、私の知る範囲では今もこの話題にはノータッチのマスコミです。自社の立場を危うくする危険性が少ないような「一般市民」に関しては、その人権を侵害するようなことも、大してウラを採る事も無く平気でやってのけるマスコミですが、間違えればやけどを負いそうな相手であれば、それがたとえ国民にとっての重大事案であっても報道しないでいられる、マスコミの存在はまことに恐ろしいと言わざるを得ませんね。


テレビや新聞などの大マスコミの流す情報をそのまま無批判に受け取ってしまう習慣だけは持たないほうが良い、と肝に銘じておくべきと強く思うのです。怖い怖い!
報道の自由で守られるのは国民ではなく、報道会社の利益なのでしょうか?