独立FPの独白ブログ

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権力とは・・・・


今日、甲州街道の歩道を歩いていた際、ごく普通の乗用車が何かの違反で白バイに交通違反キップを切られているらしい現場を続けて2回目撃しました。甲斐性のない私は「庶民の生活を妨害するなよ」と心の中だけで呟いてすごすごとその場を通り過ぎたのでした。だって、その白バイ警察官が庶民の生活を妨害している証拠などあるわけはないし、連中は「法律にもとづいて」行動しているはずだし、何といっても「公権力」という庶民には到底抗えないレベルの堅牢な鎧をまとっているわけです。はっきり言って私は「公権力を持った人」が怖いです。「やましいところがないのなら堂々としていよ」などと人は簡単に言いますが、本当にそんな態度を保つことができる人がどれだけいるでしょう。私は怖い!


運転免許を持ってほぼ35年の間にわたしが交通違反で処分されたのはあいまいな記憶ですがだいたい10回くらいでしょうか。速度違反3回、一時停止違反1回、車線変更違反2回、残りが駐車違反といったところです。その10回のうち、あきらかに自分がいけないことをしたと納得したケースはほとんど1回くらいしかありません。ほとんどの場合にわたしの心を満たしたのは「なんで俺が捕まるの?」という理不尽さ、不公平感、単なる不運に対する行き場のない逆切れ感情でした。明らかに獲物がかかりやすい場所でねらっていたと思われる警官の罠に、まんまとはまってしまったことの悔しさはたとえようがありません。


日頃からクルマで外出する折に目にしている不法行為の数々、大量の車が行き交う幹線道路で、堂々と悪質な駐車違反をしている現場を数限りなく目にしていますし、小さな子どもやお年寄りが歩く制限速度20キロくらいの狭い住宅地の道路を4、50キロでぶっ飛ばしていくバカもたくさん見ています。そうした無法者に怒りを感じる私自身は、「本当に他人の迷惑になるようなことや危険なことは決してしない」ようにしているつもりです。(もちろん、私自身の個人的基準ということです)


ところがその私が、たとえば借りていた本を返却しようとしてふと立ち寄った図書館で、ついでにトイレを拝借し、4,5分が経過して車にもどるとしっかりをフロントガラスに駐車違反のシールが貼られいている。高速道路から降りてきてガラガラの主要道路に合流する際に完全停止をしなかったといって、付近に身を隠して張っていた白バイに捕まる・・・私はこういうのはおかしいと思います。


しかし「法律違反なのだから何か不平を言うのはそれこそおかしい」と私を攻撃する方もきっと居られることでしょうし、何と言っても「違反は違反なのだ」ということなのでしょう。
こうして書いていても、心から湧き出てくる感情をうまく言葉に乗せることができず、なんだか焦ってしまいます。
この気持ちは一体何なのでしょうか。


権力はそれを行使する人間の、あるいは組織の資質や感情や、その時のおかれた状況で使い方が左右される(つまり恣意的に権力が行使される)ことはあってはならぬはずです。しかし公権力は時として法律を笠にきて民を苦しめますから、それをふせぐために憲法は存在しますが、その憲法の精神を国民の多くが理解していなければ意味がありません。日本人はこの点が決定的に弱い・・・と思います。


昨年村上春樹氏がイスラエルで演説した「私は弱いタマゴの味方をする」という言葉を今私は思い出しています。影の総理だの独裁者だのと言われる小沢氏でも国家権力の前ではなすすべがない場合もあり得ます。大新聞の垂れ流し聞きかじり情報や、テレビワイドショ―の芸能レポート的情報の影響で形成されてしまうような「世論」などもほとんど当てになりませんし・・・。


ある学者がこう言いました。
国策捜査」は東京地検特捜部の仕事なのである。(そうだったのか!!)・・国の目指すべき方向に向けてのある意味で恣意的な捜査が行われること自体が問題なのではない。しかしながら、世界を観る目、世論をつかむ感性、社会に訴える発信力のどれをとっても稚拙で中途半端で身勝手な、今のようなレベルの低い国家権力に国の目指す方向を見定めて、国策捜査をする資格があるとは到底思えない」(納得&恐怖です)


それにしても、自民党に続いて下野して出直すべきは大マスコミでしょう。マスコミはタマゴではなく壁の側にいるようですから。おそろしいことです。日本は民主国家ではありませんね。本当に怖いです。





◆すべて公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない【憲法15条第2項】