独立FPの独白ブログ

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■悪魔のサイクル〜ネオリベラリズム循環


悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環

悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環


「もうひとつの日本は可能だ」という本に2年近く前に出会ったときの驚きと恐怖感と不思議な感動は今も忘れられません。私が思想や歴史や政治に関する本や情報に対しての興味をより強く持つようになったのはあの本に出会ってからでした。
著者の内橋克人というひとは数年前まで放送されていた読売テレビ制作の土曜日朝の硬派情報番組(桂文珍司会)に時々コメンテーターとして登場しては、淡々としかし力強く政権批判などを展開されていた頃から気になっていました。


内橋さんは『経済とは人々の暮らしのこと』という基本スタンスで経済を論じます。
そして長きにわたって連綿と主張し続けていることは人間性を失いつつある日本の社会・経済・政治への警鐘です。その考えに立って、行き過ぎた市場原理主義の浸透が地球上で多くの地域経済と大切な文化的土壌などをどのようにして破壊してきたかをまとめたのがその「もうひとつの日本は可能だ」という力作でした。
以来、私は日本で起きている出来事を、内橋さんに教えられた視線で見詰めていますが、なんと5年も続いてしまった小泉政権の数々の画期的政策(!!)のおかげで、地獄への道を進み続けている日本の将来に心底から恐怖を覚えている毎日です。


その内橋克人さんが、地獄に向かう船のエンジンとも言える「市場原理至上主義」についての冷静な分析と批判を、研究グループのあらたな成果を踏まえて説明し、そして今後あるべき『まともな資本主義経済』のありかたなどについて易しく解説する新著を出してくれました。それが「悪魔のサイクル」です。


この本の主張の中心思想と思える一文を簡単に紹介しておきます。

【 なんだかんだ言っても、市場しかないのではないか。そう疑問を持つ方もいるかもしれません。大事な問いだと思います。それに対して私はこう答えることにします。
国家でもない、市場でもない、第三の道がある。国家が市場を計画してすべてを決めるのではなく、市場が人間を支配するのでもない、第三の道。それは、人間が市場をつかいこなすという道です。】(本文第8章より)


社会主義の理想が幻想であったことは既に充分に証明されてしまいました。しかしだからといって自由主義、市場原理主義の理想(つまり政府ができるかぎり何もせず 市場原理に任せればすべてうまくゆくという市場原理至上主義)が正しいと思い込むのは全くの早計であり危険なことです。
まして市場の原理、競争の原理が全てを解決するなどというのは、ほとんど狂った妄想としか私には思えません。


国家と聞けば右だといい、市民と聞けば左だというような、小泉流「白黒ドッチナノ思考」はいい加減に終わりにしましょう。人間の幸せ、少々妥協しても最低限の安定を確保するためには何が必要かを皆で議論し検討するべきときです。反米親中でも親米反中でもないのです。
右とか左とか言っている場合ではありません。日本はどの分野を見ても本当に国家存亡の危機と言える状況です。
大人社会がメタメタの根無し社会であって、一体だれが子供を教育できるのか。
思考停止国民によるイメージ投票などで憲法改正などしていいのか。
本当に大事なのは自分で考えること、自分の意見をもつこと、自分の責任で生きることです。


だれのための改革か〜規制緩和という悪魔〜人間復興の経済を目指して〜共生の大地〜節度の経済学〜などなど、人間の幸福のためにあるべき経済という視点で主張し続ける魂のジャーナリストの新作を是非読んで欲しいと思います。
改革の必要性を語る方々は、この本の主張に触れてからもう一度考えて欲しいとも思います。
ネオコンネオリベがなんとなく気になっている人にもお勧めです。


★『もうひとつの日本は可能だ』を紹介した日記