独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

待望の立食いそば開店!

国立駅南口には以前、小さな立食いそば屋さんが有ったのですが、駅の建て替え、再開発計画の過程で閉店。無くなってみると価値が分かるのが立食いそばです。そのうち北口側に富士そばが開店してホッとしたけれど、南側にはありませんでした。その「待望の」…

ジョギングの必須アイテム

せっかくスタートしたウオーキングを習慣化するために心がけたのはとにかく楽しく、気軽に、無理せず、でした。雨が降る日や強風の日、飲み過ぎた翌朝には無理をせず、絶対週2回など義務化することもせず、気軽な取り組みを心がけました。さて筋トレの記事…

楽しくウオーキング(またはジョギング)!

健康のための運動を始めたら、それをいかにして習慣化するかが最重要課題です。たまああ~にしかしない運動はリフレッシュや、気晴らしには効果があっても健康維持にはあまり役に立ちません。運動の最重要課題は継続・習慣化です。しかし「継続は力なり」と…

今どき 乗車券?

電車に乗るのにキップを買ったのは実にに久しぶりです。近頃は地方に出張したときでさえあまり買うことはありません。何故買ったのか?もちろんそれはSuicaを持ち忘れて出てきたからです。 駅に着いて気づいた時に取りに戻ろうかと若干迷ったけれど、やはり…

運動不足が気になる皆さんへ

人間はもともと動物です。動物は「動く生き物」であります。太古のころの人間は食料を得るために一日中動いていたでしょう。しかし我らは大きくなった頭脳を駆使して便利な道具や機械やシステムを構築して「あまり動かなくても生きられる」ようになった。あ…

今年もラグビー熱の冷めぬことを・・・

大学ラグビーの決勝戦(早明戦)が今日午後、新国立競技場で行われ早大が11年ぶりで優勝した。 観客は5万7千人超の大観衆でしたが、その中に占める「初めてラグビーを観る」人の割合は近年最高だったのではないかと想像します。 私は昨年、初めてのラグビーW…

2020ことはじめ サウナと担々麺

初詣済ませた翌日3日に地元国立温泉 湯楽の里で初風呂 初サウナでスッキリ。温泉入り口付近から西を見れば富士山がクッキリでなんとも良い気分! 風呂上がりの生中&枝豆を頂いた上で、帰り道での昼食をどうするか一瞬迷ったが、やはり初外食は私の定番にし…

2020年ことはじめ・筋トレ&ジョギング

昨年の4月に始めた早朝ジョギングは、その後数カ月ほぼ週2~週3日で継続していましたが11月からの年末挨拶回り開始後は、何となく落ち着かないやら朝が超寒いら二度寝しちゃうやら出張やら気乗りがしないやらなんやらで、年末には週1程度にペースダウンし…

2020ことはじめ

あけましておめでとうございます! 元日明けて2日の午前中に、地元・谷保天満宮にお参りして家族みんなの安寧を祈願しました。今年は思いのほか空いていて少し拍子抜けした初詣です。 歳を重ねる度に年々「特別感」が薄くなった年末年始、ガキの頃は意味もな…

2019年個人的備忘録(人様のお役には立てません)

弱小ながらもブログをやっている以上は「今年を振り返って」の記事くらいは書いておこうと思う。 ◆1月・・母の一周忌執り行いお寺のある仙川駅近くのレストランで家族で昼食◆2月・・父親の「要介護3」維持されてホットする(在宅医療訪問医の先生の力は大き…

ピン芸人の苦労

久しぶりにR-1グランプリを見た。なんと全てのネタがチャントしていて面白かった。R-1は裸芸が横行してつまらんと思い込んでいたが、今年の決勝には裸は無しで純粋にネタで勝負していた。霜降り明星?粗品さん、凄いな。

筋トレを始めようかな~と思っている皆さんへ

一念発起して自宅で筋トレを始めたのは2009年の7月なので今夏でまる10年となります。何事につけ必ず入門書を読むことから始める習性の私が最初に読んだのは、その世界では超有名人の筋肉博士のこの著書、いわゆる「スロートレーニング」の指南本でした。(ダ…

親の介護体験記(4:高齢者はとにかく転ぶ)

今年亡くなった母が昨年4月に入院した原因は「重度の腰痛」でした。 以前から年に数回腰痛を訴えることがあっても一日、二日安静にしていれば治ったと言う程度のものでした。いつも異様に混雑していて普通に2時間以上も待たされる整形外科医院に行くことは…

親の介護体験記(3:他人との関わりがとても大事)

前回紹介した通り、父が多くの日常の雑事を取り仕切るようになり、母の「一人では出来ないこと」が少しづつ増えてゆく日々が続いていたようです。しかしそのことに私が気が付いたのは認知症の診断を検討し始めた頃でしたから、時すでに遅しだったのだと思い…

親の介護体験記(2:偕老同穴~仲良し老夫婦ゆえの悩ましさ)

父は大手メーカーの営業職を長年勤めたサラリーマンであり、昭和の高度経済成長期の企業戦士として生きた所謂会社人間の一人でした。出張や単身赴任でほとんど家にはおらず、東京勤務の時代も接待やらなんやらで毎晩飲んで帰る日々。土日や夏休みなどの時期…