独立FPの独白ブログ

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日本は『非科学大国』か!?

私個人の今年のテーマとして筆頭に挙げたいことは「科学的に考えよう!」です。
昨年3月11日以来、我が国リーダーであるはずの政官業報の意味不明な言説、行動、態度などがなんとも非合理、非科学的、非論理的と思い知らされたからです。
日本はひょっとすると「非科学的であることを国是とするのでは?」と言いたくなるほど驚愕する出来ごとばかりでした。このままで良い訳が無い!!


日本を襲った大津波の被害、東電福島原子力発電所の事故、その後の放射能汚染被害を大きくしてしまった原因のひとつに「日本人の科学離れ」を挙げているのが、今日紹介する幻冬舎新書「科学的とはどういう意味か」の著者・森博嗣さんです。
森博嗣さんは所謂「理系ミステリ」と称される作家で、「すべてがFになる」は以前のブログで紹介しました。

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)

科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)


科学技術は自然の猛威から人間の命を救うことを可能にする、科学的知識を持っていること、科学的に考える能力が、身を守る力となる、というまえがきでこの本は始まります。
むつかしい科学のことは良く分からないから「結論だけ教えてくれ」というような態度は、人間にとって大変危険であると指摘しています。


世間では文系、理系という分類が厳然として存在するけれど、その実態は何なのだろうか。私は文系人間だとずっと思って生きて来たけれど、その根拠は何だろう。思い起こせば中学生のころ、「現代国語」「英語」に加えて「幾何」と「生物」も決して嫌いではなかったと記憶しています。それなのに私はいつの間にか文系になっていました。
多分高校2年のスタートラインで進学希望を「理科系大学」にするか「文科系大学」にするかの選択を迫られた時から、私は文系人間になっていたのです。


おそらくその選択の根拠としては「数学」「物理」「化学」のテストの成績がどんどん悪化して、自信を喪失したことが大きかったのでしょう。特に「数学?」あたりからは定期試験に臨むたびに自信を失い続けていたように思います。100点満点のテスト結果が10点とか20点などだったという記憶も残っています。
好き嫌いとか興味などというよりも、得意不得意をテスト結果から自己判定した結果が文科系志望だったのでしょう。


『科学的とはどういう意味か』の第一章から「理科系科目が苦手になってゆく過程」について触れている部分の一部主旨を引用します。

(小中学校の)学科で教わることには2種類があり、大別すると「データ(情報)の記憶」と「メソッド(方法)の習得」だ。算数、数学は本来は「メソッド」なのだが、数式の記憶、公式のインプットばかりにエネルギーを費やし、それが勉強であると勘違いしたまま進学してゆくと、いづれ覚えきれない段階に至って嫌になる、不得手になったりするのである。


そもそも、メソッドを習得しているかどうかをテストで判定すること自体が、先生にとって、学校にとって面倒なことなのだと思います。入学試験などは「記憶しているかどうか」を試す試験が多くなり、そのため結果としてデータインプット中心の学習に偏る。そうなると、データインプットでは追い付けない数学や物理が不得手になる。


自ら文系のレッテルを張り付けた自分は数学が苦手という劣等感を覆い隠すために「確かに数学は不得意だが、生まれてこのかた学校以外で数学の公式をつかったことなんてないし、あんなもの必要ないのだ」などと言って居直り続けて生きることになるのです。


こういう情けない自分の実情について、森博嗣さんのおかげで猛反省させてもらったのがこの本なのです。
私は文系でいっこうに困らない、科学なんてSFでも読んでればOK、などと居直り、科学を遠ざけている人たちに、是非お勧めしたいのです。