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独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

「知らぬがホトケ」は誰に利するか?

日常 信条・意見


ごく普通の庶民として人生を平穏無事に生きてゆくためには、むしろ真実を知らないほうが良いのではないか。と思ったことがありませんか?
知ってしまうと少々厄介になることが世の中には溢れています。ううん面倒だ、知らないシラナイ、私は一切何も知りません!と言いたくなったりしませんか。


突然ですが、日常何気なく食している豚肉は、実際はどのような過程を経て畜産農家から我々の食卓に運ばれてきたのか、そんなこと意識しつつトンカツを食べる人はいないでしょう。

畜産農家の豚舎で餌を食べる「かわいい豚さん」が、ある日突然トラックで搬送され、屠殺場で『処分』され、皮を剥がれ、切り裂かれる過程の記録映像を見せられた直後に、さあ沢山食べなさいと出されたトンカツ定食を、ほとんどの幼い子供と何割かの大人が多分食べられないでしょう。


それでは、この真実は知らないほうが良いことか・・・多くのひとはそうは思わないでしょう。
やはり、そういうことをちゃんと知った上で、犠牲になった動物と、それを食べ物に変えてくれた多くの人たちに感謝をしつつ食べるべきだと考える人がほとんどではないでしょうか。
「頂きます」の本当の意味は「あなたの命を私の命とさせて頂きます」ということだと仏教では教えられます。
トンカツの豚肉がもともとはカワイイ豚さんだったことを頭のどこかにちゃんと置いておきつつ、感謝の気持ちで食べることができるのが大人ってもんでしょう。


世界の様々なことを知っていて、その不条理を思い、不都合を憂い、悩みながらあるいは気持ちを整理しながら生きてゆく、これがまっとうな人間の生き方であるはずです。
人間に意識と思考がある以上は、多くのことが知らないでは済まされません。
聞きたくないことや忘れていたい真実を、知らない状態でいたいというのは、意識と思考を持つ人間として、生きることの何割かを放棄したことではないかと思ったりします。


奴隷の子供として生れて外の世界を知らずに一生涯奴隷小屋で過ごすことも、大金持ちの家で生れて世間に貧乏な人がいることに気づかずに一生を送ることも、どちらも人間としては非常に不幸な人生だと言うべきでしょう。(そういえば「王子と乞食」という物語があったなあ)


現在、本日のまさに今この瞬間にも、世界のどこかで戦争、紛争、犯罪などで人間が殺されていることは確実ですし、とんでもなく残酷なことが起きているでしょう。そういうことを知らずに済ませるが楽でいいのか、そうではなくて、知っていて、それを乗り越えて生きるのがいいのか。


【下々の者は世界の難しいことは知らなくてよろしい。高い知性と教養と意思をもつ我々が導いてあげるから、あんたらは黙って言われるように生きてゆきなさい。】
これを言う立場になろうとする人間も、こういうことを言われて安心したい人間も、私は絶対に信用できません。


これまで我々が知らなかったことが、知らないほうが良いと薄々感じていたようなことが、一般庶民の眼前に次々と出現した2010年でした。
正義の象徴「検察」の真実。裁判の実態。安全保障の現実。情報操作の日常化。
そして日本は民主主義国家ではないこと。・・・沢山の不都合な真実を知ってしまいました。知った以上は、私たちはやはり考えないといけません。
今年は、その知ってしまったことごとをより一層深く理解し、咀嚼し、整理して、まっとうな人間として生きられるような社会の進歩発展につなげるべき年のはずです。けっして大げさなことではなく、普通の人間として生きてゆくために、です。