独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

権力者の正義・国家の正義・人間の正義

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

ある国家が自国の利益を獲得するまたは守ろうとすることが、他国の利益を侵害することになる、国際社会では日常茶飯事です。(日本人は慣れてないけど・・)
国境紛争、領土問題などという国と国との利害衝突を解決する手立ては国際ルールや国どうしの条約締結など、しかしそう簡単には解決はしません。それは、どちらにもそれなりに大義があり、それぞれの国においての「正義」の裏付けがあるからです。


「正義」のために数十万人の他国の住民を殺戮して、堂々と世界秩序の番人だと言い張る大国があるくらいです。国家が主張する「正義」は国によって基準が変わるし、時代によっても大きく変わるのです。ううむ、いったい「正義」とはなんなのか・・・??


国内に目を向けてみれば、日本は(一応)近代的民主国家であって物事の正否判断の基準は法律にもとづくという法治国家のはずですが、いま日本の「法の番人」の違法行為が問題視され続けています。法律にかかわる職業の人たちにとっての「正義」とはなんなのか・・・??


本当に悪い奴を駆逐するためであれば、法律を犯しても、あるいはウラの手段を使っても構わない、それが正義を執行するエリートだけに許される権力だ。
そう考える検察官は多分少なくないのでしょうし、公権力を持たない庶民の心理にもそうした意識が内在するはずで、だからこそ我々は「必殺仕置き人」が大好きだし、スーパーマンにも喝采を送るのです。(少々古いですか)


世界標準の正義と国家単位の正義は多くの場合にぶつかり合うし、国と地方自治体の間にも、自治体と市町村の間にも、正義と正義の軋轢はあふれています。
どちらが本当の正義なのかというよりも、どちらの正義を重視しようとするのかという問題が重要なようです。


「そういう難しいことはお上が決めてくれるんでしょ」では世の中が回らなくなってきていることは、多くの日本人は気づき始めているでしょう。
「なんでもあり検察官」の問題も「誰もが裁判員になるかもしれない」問題も「民主党に任せるのも自民党に任せるのもどちらもダメ、官僚にお任せするのももちろんダメ」という政治参加の問題も「国にお任せではやってゆけない自分の老後」の問題も、すべての事象が【私たち自身も考えないといけない】時代であることを示しています。


だから「これからの正義の話をしよう」がこの分野にしては異様なほどの売れ行きを見せるのでしょう。私はNHKの番組を見て興味を持ち、夏の課題読書として選択し、一か月近くかかってようやく読破しました。そしてもう少し内容を把握したくて2回目を読んでいます。
NHKの番組も一部ですが録画していたものを見返したりしています。


決して「気楽に楽しく」読める本とまでは言えませんが、学問的な下地が無くても「哲学することの大切さ」を実感できるとても貴重な本だと断言できます。
そして著者のサンデル教授の主張する「コミュニタリアニズム」という思想は、日本人が戦後経済成長期に失い、今になって取り戻そうとしている何か、に関して大きな大きなヒントにもなっているように思います。


そろそろ古書店にも出回りだしているでしょう。「善く生きる」ことを真摯に考える生き方、自分で考える生き方、大切な人を守り抜く生き方をしたいと思う人にお勧めします。