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独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

■テレビの狂気は予言されていた

日常

「こいつらはみんな大衆の期待に振り回されているんだ。出来事の無い時に出来事を作り出す能力がマスコミにあるはずだという大衆の途方もない期待にな。しかもその大衆は国民的自己催眠にかかった大衆なんだ。奴らは現実が自分たちに与えることができる以上のビッグ・ニュースを期待し、それがマスコミによってでっち上げられると、さらにそれ以上のものを期待し、しかもそれらが自分たちの要求によって作られたものなのだということを知ろうとしない。その事件が幻影であることを認めようとしない。(途中省略)
それが本当の事件なのかどうかはそっちのけだ。その事件が面白いかどうかだけが問題なんだ。最近じゃ空想の方が現実より現実的だ。マスコミは常に新しい擬似事件をでっち上げなければならなくなり、しまいには、取材しにくい本物の出来事を贋造の出来事の彼方へ追いやってしまう。もちろんマスコミの作る事件なのだから、それは報道や再現メディアに都合のいいように準備されるわけだ。ニュースはほとんど、いわゆる軟派のニュースだけになる。硬派のニュースさえ軟派にされてしまう。テレビで言えば視覚効果があるようにされてしまう。・・・・・」(早川書房刊:筒井康隆著・48億の妄想より)

この台詞は、高校時代に夢中になって読みふけった、かの筒井康隆氏の処女長編にして近未来SF小説の傑作である『 48億の妄想 』の中の一節。主人公であるテレビ局のニュース・ショー担当ディレクターがふと自らが没頭しているテレビの世界(送り手側と受け手側双方の)異常性について言及したときのものです。
この小説は1965年に刊行されたもので筒井氏31歳の時の作品なのです。


やらせ、でっちあげは日常茶飯事、演出、湾曲は当たり前、暴走族に暴走を依頼する民放やら、全てのインタビューの回答を事前にチェックする公共放送局やら、マスコミの中でも特にテレビの異常性は言語を絶するという感じです。しかし、こんな様相をかの筒井氏は40年以上も前から予見していたのです。やはり天才というしかありません。私に筒井康隆を教えてくれた同級生のT君、S君にあらためて感謝する次第です。