独立FPの独白ブログ

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■軽い教師たち

いじめのきっかけは教諭言動、福岡の中2自殺で校長謝罪
福岡県筑前町の三輪中2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した事件で、学校側は15日、1年生の時の男性担任教諭が、男子生徒の母親から受けた相談内容を同級生に暴露し、それが元で男子生徒がいじめられるようになったことを認め、両親に謝罪した。
(この最低な担任教諭、逃げ切り狙い見え見え校長らの対応があまりにひどいので中略)
合谷校長と教諭らは14日に続き、15日も両親と面会。教諭は両親に「(男子生徒は)からかいやすかった」と述べ、報道陣に対し「一生をかけて償っていきたい」と話した。

この教師は、一生かけてなにをどうやって償うのだろう。この教師がどんなに本気で後悔したところで、所詮は自分の生活が乱されてしまうことについての後悔でしかないだろう。「ああ、失敗した」って。


こういうニュースに触れると本当に抑えきれないような激憤を覚えます。
毎日毎日こども達や同僚からも「先生」などとと呼ばれ、自分が上位に居ると勘違いすることから全ては始まっているのでしょう。
先生などと呼ばれる立場の人間は、だからこそ人一倍自分を厳しく律する心構えを常に持つべきであり、ましてや、中学の教師は【非常に繊細で柔らかく脆い心をもつ思春期の大事な大事な時期のこどもたち】を相手にした大変な仕事であるはずだ。そんな難しい仕事をやってのけられるだけの度量を備えた人間だけが教師になっているのかどうか。そういうことを考えて、暗い暗い気持ちになるのです。


我が子達の通った中学校にいた「唾棄すべき振る舞いや言動を繰り返すバカな教師」のことを思い出してしまう。内申書という武器を持つ彼らはそれが抑止力の効果をもたらし、批判を受けることもあまりなく日々を過ごす。挨拶さえろくにできないような常識外の人間がなぜ「先生」なのか、理解不能と何度怒りを覚えたことか。
我が家では、バカ教師達をまさに「反面教師」として見るように教育していたので、問題なくなんとか乗り切ったが、今もあちらこちらの小学校、中学校で大事な国の宝である子供たちが、超低レベルな勘違い教師達に心を切り刻まれているのかと思うと、歯軋りしたくなるほどですね。


我が子をこういう連中から守るには、少なくとも学校を神聖化したり聖域化したりするような古い感覚を親が捨て去る必要があります。また、学校に対して、お勉強以外の何かを期待するのは間違いです。
もしどうしても何か我が子にプラスになることを学校に期待するのなら、それなりに時間と労力を払って自ら学校運営に口を出してゆく位の覚悟が必要でしょう。教育の世界だけが自己責任を免れるはずはそもそも無いのです。どの世界でもお任せは悪なのです。 ああ、なんとも感情的になってしまいました。