読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

■ミステリの読み方


GW最後の日のテーマは読書ということで・・・
ミステリ小説を読むのが好きですが、本を読む速度が遅いため(文庫でも1頁1分以上掛かることがある)、できるだけ沢山の色々な本を読みたいと思うと、面白い小説でも何度も読み直すということはほとんどありません。(これまでに3回以上読んだのは筒井康隆著「脱走と追跡のサンバ」のみ!多分5〜6回です)
しかし一度読んで犯人が分かっていても、それでも面白いミステリ小説もあるはずなのであり、読み返すほどに面白さが増すという本もあると思うのです。


ミステリ小説のジャンル分けに「フーダニット」とか「ホアイダニット」「ハウダニット」と言われる分類があります。初めのは「WHO DONE IT」で、誰がやったのか、であり、次ぎは「WHY DONE IT」どうしてやったのかつまり動機の追及、最後は「HOW DONE IT」でどのようにやったのか、方法論ですね。
あっと驚くどんでん返しが売りの推理小説であったとしても、センスの良い伏線が張りめぐらされていて、登場人物も魅力的に描写され、会話なども楽しいという優れたミステリであれば、犯人が、或いは結末が分かっていてもそれなりにちょっと違った角度から楽しめるでしょう。


例えばクリスティの「オリエント急行殺人事件」とか「アクロイド殺人事件」などは、その結末があまりに衝撃的なために一度読んだら絶対に犯人を忘れることはありませんから、再読以降の楽しみは必ずそうした(犯人探しではない)別角度からの読み込みということになるのでしょう。


ミステリには色々な読み方があるのであって、最後のどんでん返しだけを期待するのは筋違いですが、ついついそういう気持ちで読んでガックリすることもありますね。。たまに、昔読んだことがあるのをすっかり忘れて買ってきてしまうことがあります。

だいぶ前のことですが、創元推理文庫でクリスティの『エンド・ハウスの怪事件』といいうのを読んでいて、何故か途中で犯人が分かってしまい、おかしいと思いながら読み進めてみると早川ミステリで読んだ『邪悪の家』と同じものだった、ということもありました。
翻訳家の人は「邦題も作品のうちだ」とお考えなのでしょうから、他の翻訳家がつけた題名にはしたくなかったのでしょうけれど、こういのはちょいと困ります。いや、これは自己責任かなあ? 翻訳本を買うときには原題を確認する習慣をもつべきなのでしょう。


ミステリ作家の人達はまず間違いなく「大のミステリ小説ファン」であるため、過去の内外のミステリを沢山読んでいます。そして、若い頃から憧れている過去の傑作にヒントを得たり、あえて有名作品と同種のトリックを用いて、タイトルもその作品を連想するようなものにしたりということもあります。(「○○の悲劇」という題名の推理小説などは数えたら一体いくつあることでしょう)ミステリファンというよりオタクとも言うべきミステリ通の人達が自ら書く小説に、大好きな作家の憧れの作品のオマージュを秘めていたり、古典的名作のトリックを知っている場合に、より一層面白さが増すような作り方をしている小説もあります。こういうのを好んで読むようになると、ただの読書というよりも、ミステリが趣味という領域にいると言えそうです。


私も「趣味はミステリです」と言えるほどに、もっともっと沢山の面白いミステリを読みたいものです、遅読の壁を乗り越えて・・・。


ちなみに、今までで一番面白かったミステリを一冊選ぶなら、ピーター・ラブゼイの「偽のデュー警部」なのですが、悲しいことにまだ一回しか読んでいないのです。