独立FPの独白ブログ

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■清廉潔白同士の対決

極貧の暮らしを余儀なくされていても侍の魂は失わない清廉潔白な浪人が主人公の「井戸の茶碗」を聞きました。例によって古今亭志ん朝さんのCDです。


この浪人は生活を何とか維持すべく家財を売り払い、ついに家に代々伝わる仏像までクズ屋さんに売ってしまいます。
そのクズ屋さんから後日仏像を買い取ったのはある武家屋敷の若侍でしたが、その汚い仏像を掃除したところ、どうした訳か中から50両の大金が出てきます。
若侍は、仏像は買ったが中の小判は買ったわけではないと言って、クズ屋さんに元の持ち主に50両を返すように言います。


クズ屋さんはこれまた正直にその金を例の浪人に返しに行きますが、こちらもなんとも堅い人物なので、人に一度売ったものを返してもらう訳には参らん、といって受け取りません。さてどうしたものかとクズ屋さんは困り果てて・・・・というわけで話しは展開してゆきます。


立場の違う当事者3人の誰ひとりとして金を自分のものにしてしまおうとよこしまな思いを抱くものがいません。昔の人間は皆が清廉潔白だったのかといえばそうでもないらしく、この話の中では「今時こんなイイ話しはないよ、人間こうでなくっちゃあいけないねえ」と言う台詞が出てきますから、いつの世も人間社会はそうしたものであるようです。


しかしながら現代の日本では、インターネット販売でパソコンの売り出し価格を一桁少なく表示してしまったら買い手が殺到して販売業者が大損をした騒動がありましたし、先ごろ株式市場でも証券会社が株価表示を間違えたというだけの理由で巨額の利益を得た方がいらっしゃいました。


悪意があろうと無かろうと、人の間違いの結果が我が利益となってしまうことに対して、まるでお構いなしでいられるという感覚は、ちっとも清廉潔白などではない私にしてみても、どうにも受け入れ難いことです。


古典落語にはこのように人間の心のキレイな面を強調した話しもあれば、反対に恐ろしいほどの悪意に満ちた人物も登場したり、どうにもお気楽ないい加減な奴らばかり沢山出てきたり、実に奥深い人間ドラマの宝庫なのです。




落語名人会(17)

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