独立FPの独白ブログ

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親の介護体験記(4:高齢者はとにかく転ぶ)

今年亡くなった母が昨年4月に入院した原因は「重度の腰痛」でした。
以前から年に数回腰痛を訴えることがあっても一日、二日安静にしていれば治ったと言う程度のものでした。いつも異様に混雑していて普通に2時間以上も待たされる整形外科医院に行くことは相当ハードルが高く、ほとんどの場合は行かずに過ごしていました。
しかし昨年春の母は腰痛でほとんど起きていられなくなり、さすがにこの時は整形外科を受診することにしました。診断の結果は腰椎の数か所に圧迫骨折がみられる、肩関節には変形がある、脊柱管狭窄症の傾向も見られるとのことで1週間の入院となりました。
その時の骨折の直接の原因は転倒だったのかも知れませんが、しばらくすると転倒したこと自体を忘れてしまうので、本当の原因はなかなか分からないのです。

圧迫骨折の治療は痛み止めの服用以外は寝ているしかなく、長期入院は無理とのことで「転倒リスク対策」を徹底したうえでの自宅療養をということになったのでした。主治医から強く言われたのは、この年齢でしかも数か所の腰椎骨折もある人が、日常的に階段の昇り降りをするなどトンデモないということでした。そこで、寝室を二階から一階に移し、一階のみで生活出来るように家屋内環境を変える突貫作業が始まりました。ニトリやホームセンターやオリンピックなど駆けずり回って、もともと麻雀部屋でしかなかった狭い和室をなんとか夫婦の寝室に切り替える作業を終わり、母は退院となりました。

長年の習慣をがらりと変えさせられて、父母はかなり混乱し、いら立ちを見せることもありましたが、1階で暮らすのは「医師の指示」によるということ、骨折は治っていないので慎重にするべきだということなどを繰り返し説明したり張り紙をしたりして数カ月過ごしたのでした。この頃から我が家と車で1時間の実家との往復が、月1、2回から3回になり4回になり、ほぼ毎週ということになったのでした。

いつ転倒するかも知れないというのは高齢者に共通のリスクであり、転倒の結果骨折し長期入院し、筋力体力が衰え、更に転倒のリスクが高まる悪循環は様々な方面で指摘されていることです。「お年寄りは転んだら大変、絶対に転ばないようにしましょう」とよく耳にしまうが、どんなに注意をしていても、色々な対策を打っていてもやはり高齢者は転ぶのです。母はその秋ごろにも玄関先で転倒して顔から出血して救急搬送、目の上を6針縫うことになったのでした。

昨年末のある日、家内の母が雪の積もる札幌市内の道路で転倒して救急搬送されました。脳を打ったため、その後のリハビリも長引いてしいました。義母はあれだけ気を付けていたのにと思ったものの、これはやはり致し方のないことなのです。楽しく日々を送るためにも、体力、筋力低下を防ぐためにも、積極的に出かけて仲間と交流することは大事なこと。そして可能な限り自分の足で歩いて生活することは大事なことです。転倒のリスクを回避するため、じっと家の中に籠っていては、それこそ体力の衰えにつながるし、脳の不活性から認知症がの進行するかも知れません。転ばないように体力を維持しておく、言葉通り「転ばぬ先の杖」を活用する、転んでも大けがにならぬように日頃から反射神経を鍛えること、出来ることからやっておくことを老親には勧めましょう。それは現役世代の私たち自身の老後への備えにもつながるでしょう。

親の介護体験記(3:他人との関わりがとても大事)

前回紹介した通り、父が多くの日常の雑事を取り仕切るようになり、母の「一人では出来ないこと」が少しづつ増えてゆく日々が続いていたようです。しかしそのことに私が気が付いたのは認知症の診断を検討し始めた頃でしたから、時すでに遅しだったのだと思います。(ここで取り上げる認知症は所謂老人性認知症のうち、前頭側頭型認知症のことであり、私が母との関わりで感じたり考えたりした個人的な情報であることをご理解ください。)

物忘れ内科で専門医の診断を受けた時に言われたのは、認知症の発症はおそらく5、6年前だろうということでしたが、実はその時期には母の日常生活に変化が起きていました。
母は20年以上にわたって「歌唱教室」に毎週通っていました。自宅から最寄り駅まで15分ほど歩き、電車を一回乗り換えてたどり着くその教室までの往復はたっぷり2時間半ほどを要し、80歳を超えた母にとってはかなりの運動であったはずです。そこで多くの仲間と共に大きな声で歌い、たまにはお茶を飲んだり食事をしたりというお付き合いの時間は、母にとって心身ともに大いに刺激となっていたのでしょう。その歌の教室がある事情によって終了したのが6年ほど前でした。またその少し後になって、自宅近所で週一で通っていた体操教室も、諸事情によって行かなくなったのでした。
それ以降、母の外出は徒歩15分のスーパーまでの買い物と、ごくたまにターミナル駅のデパートに出向いての買い物と食事だけになりました。それも常に父と二人であり、単独での外出は一切なくなってしまいました。
「私は一人では何にも出来ないの」
「私はバカだから何にもわからない」
「全部お父さんにお任せなの」と度々口にするようになったのでした。
分からない、出来ないと思うからやらなくなり、ますます出来なくなる悪循環になっていたのです。

高齢者の前頭側頭型認知症は老化により脳の萎縮が起こって記憶力や判断力が低下してゆくそうです。一人での外出が皆無となってしまった母は自分で考えたり判断したりする機会が減ってゆき、そのことが脳萎縮を加速させてしまったであろうことが、今となっては容易に想像できるのです。
高齢により遠出が困難になって、他者との接触機会が激減するのは、認知症進行の引き金になるようです。ですから可能な限り外からの刺激を受ける機会を作ってあげることは、認知症予防、進行の緩和に有効なのでしょう。

母は専門医の推奨によって(治療として)週に一度のデイサービス(介護保険利用)に通い始めました、認知症の進行速度を少しでも緩めるというのが目的であり、それが治療の限界だったのです。母はもともと仲間と何かすることが一つの生きがいであったようで、デイサービスについては「友達もできて、とっても楽しいの」といつも言っていました。
今年の1月に母は突然の心不全で亡くなってしまいましたが、最晩年の数カ月には得意だった他者とのお付き合いの時間を取り戻して、幸せだったのだろうと考えるようにしています。でも、もう少し早くそのことに気づいてあげれば、もっと良かったのになと思うのです。

親の介護体験記(2:偕老同穴~仲良し老夫婦ゆえの悩ましさ)

父は大手メーカーの営業職を長年勤めたサラリーマンであり、昭和の高度経済成長期の企業戦士として生きた所謂会社人間の一人でした。出張や単身赴任でほとんど家にはおらず、東京勤務の時代も接待やらなんやらで毎晩飲んで帰る日々。土日や夏休みなどの時期を含めても、子供のころの私には父親と遊んだという記憶が一切なく、高校1年の時に「仕事とは何だろうか?家族とは何だろう?」という作文を私は書いたものでした。

そんな会社人間だった父は定年退職してからは、家のことを全て任せきりだった母への懺悔の気持ちが強まったらしく、それまで一切したことがなかった家事の手伝いをするようになりました。そのことは勿論よろこばしいことなのですが、父の場合は少々行き過ぎがあり、食事の用意を除いた一切の家事諸般を父が賄うようになりました。
その結果、母は少しづつですが、色々なことを自分で出来なくなって行ったのでした。

きつい言い方をすれば父は若い時の罪滅ぼしのつもりで殆どの家事雑事を仕切るようになり、母から仕事を取り上げてしまって、結果として母の認知度低下につながったとも言えるのです。夫婦の協力関係のバランスはなかなか難しいものなんですね。
仕事や趣味や休息についての時間配分やバランスは人それぞれ異なります。お互いの時間の使い方を理解して、束縛せず、無関心にならず、思いやりをもって上手に協力関係を築くことが大切なことを、私は両親から学びました。

親の介護体験記(1:病院への付き添い)

私の両親はともに大正生まれで、都区内の住宅街で二人で暮らしていました。年齢相応に父は耳が遠くなり、母は記憶力がだいぶ弱くなっていましたが、大病で長期入院をすることもなく過ごしていました。週に一度のかかりつけ医の診察にも、ほぼ毎日のスーパーでの買い物にも必ず二人で歩いて通い、スーパーや薬局などには顔が知られた評判の仲良し老夫婦でありました。かかりつけ医の先生も、その年齢でお二人共まずまずお元気なご夫婦は、この地区で2組くらいしかいませんよと言っていたほどです。そんな二人の穏やかな暮らしにも、歳を追うごとに少しづつ崩壊の危機が迫りつつあったのですが、本人達はもとより息子の私がそれを認識するには相当の時間を要しました。

介護の仕事をしているため高齢者の現実をよく知る妻の勧めもあって、以前より以上に親の生活に関りを持つようになったのは10年ほど前からでした。以来、この数年間にはFPとしての介護保険制度の知識を超越し、高齢者に関わる様々な事柄について、身をもって体験学習をすることになったのです。世の中に経験してみないと分からないことは多いですが「親の介護問題」もそのひとつと痛感することになった出来事について書き留めておこうと思うのです。

◆病院への付き添い
特に重い病気もなく過ごしていた母でしたが、8年前に大腸がんが見つかりました。ごく初期の状態であって(ステージⅠ)開腹ではなく腹腔鏡手術での治療で済んだこと、転移もなくその後の体況も問題なく過ごせたのは、毎年の定期健康診断を夫婦で欠かさず受け、異常があると精密検査も受けるという父の几帳面で慎重な性格の賜物でした。
国立がんセンターで50日ほど待って腹腔鏡手術を受けた母が入院10日程で退院して、その後全く問題なく過ごすことが出来たのは、父の功績大と言うべきでしょう。
しかしそのがん発見から退院に至る二ヶ月ほどで、私は老親二人の「老いの問題」について色々と認識することになりました。思えばこの時から私の「親の介護」が始まったと言えそうです。

母のがん治療は築地の国立ガンセンターで、数回の通院と入院中のお見舞いにはほとんど私の運転する車で往復していました。しかしさすがに毎日同行するのは無理ですから、ある日、父がひとりで見舞いに行ったのです。後で分かったのですが電車の乗り継ぎにかなり苦労し、特に大江戸線に乗り換える際の移動距離には参ったようでした。仕事を辞めてからの父の外出は、ほとんどが近隣のスーパーやと内科医への行き来と、床屋さんに行く程度になっていました。月に一度くらいは井の頭線で吉祥寺へ出向いて食事や買い物をしていたようですが、さすがに私鉄、都営地下鉄を乗り継いて都心までの3時間くらいの往復はもう不可能になっていたのでした。父が一人で見舞いに行ったのは、その一度きりでした。

また、担当医師から告げられる病状、治療方法、今後の課題などなどについて、父が完全に理解するのは相当困難な様子でした。耳が遠くなっていることもありますが、医師の説明する内容の理解や、通院の予約のこととか、清算のこととか、治療の選択などについて理解し判断するための情報力は、現役世代と比べて圧倒的に少ないという問題があると分かったのです。
その時以来、母や父の診察、通院などには頻繁に同席せざるを得なくなったのでした。どちらかといえば教養のある方だと思っていた父ですが、高齢による情報不足は否めないのが現実だったようです。母の方はというと、お父さんに任せているから私は何にもわからない、の一点張りでした。

そうした現実を知った私は、母が退院して以降、地元の内科医に時々同行するようになり、時々通院する眼科医や歯科医にも同行する機会が増えてゆきました。一般にお医者さんは診察の結果や注意事項を書面にすることはなく(PC画面に顔を向けつつ)口頭で説明するだけです。耳が遠いので聞き取りづらく、聞こえたとしてもその内容はすぐに忘れてしまいますから、多くの場合に私が同行するしかなくなってきたのです

病院への付き添いは楽ではありません。どこに行っても長時間待たされるのが当たり前。その混雑ぶりにも慣れて文庫本を持参したりするのですが、待合席で横に座る母が「まだかしら、随分待たせるね、順番間違ってないの、まだ呼ばれてないかな、保険証は出したの?」などと同じことを何度も何度も何度も繰り返すので読書には集中できず、仕方のないこと分かっていてもこちらもイライラが募るのです。「子供か!!」と言いたくなるのですが、実際「ある意味で子供」なのですからどうしようもないことなのです。病院付き添い時のストレスで健康を害する確率は低くはないと思います。
(続く・・・)

「親の介護」はライフプランの重要課題です!

自分の老後以前に「親の介護」は近年ライフプランニングの重大要素のひとつといえます。FPとして介護保険医療保険の知識を持っていても、実際に体験して初めて分かることが多いのが現実で、親の介護問題もそのひとつです。老親の状況変化から起きる様々なことについて、私が体験して気づいたことを書き留めておこうと思い立ちました。親御さんはまだお元気で何の心配もないという皆さんにも、いざとなって慌てないように準備しておくべきことなどを紹介します。
細かな出来事は続編に回すことにして、今回はポイントのみをアップしておきます。

◆都内住宅街に住む両親は共に92歳の二人暮らしでなんとか自立していたのですが、実は日常生活上に潜んでいる目に見えないリスクが山ほどあったことがこの数年で分かりました。買い物の手伝いという名目で月1~2回程度の実家通いが始まったのは7,8年前だったと思います。本人たちの「自立の意欲」は大切だと思っていたので、細かいことに干渉することは避けていたのですが、実は色々と問題が起きつつあったのでした。
例えば、不要な高額商品の購入、使えない高機能家電を買わされる、緊急性のない住宅改修工事の発注、宝石類の買取訪問の受け入れ、食材などの重複注文、3千円の集金に3万円出す、散歩や買い物時の歩きすぎ、室内での転倒の繰り返し、栄養バランスの崩壊、水分補給不足、薬の不適正服用、誘眠剤の多用などです。これらは自分だけの損失で済むことですが、隣家への迷惑がかかるものもあります。例えばガス漏れ、空焚き、吹きこぼし、水回り事故、ゴミ出しの間違いや生ごみの放置。特に直近1、2年にこうしたことが頻繁に起きていました。(これらはすべてここ3年で私が経験したこと)

◆自立できていると本人たちが考えていても、実際には上記のようなリスクがあって、それらが顕在化するのは時間の問題なのです。少々危うい日常ではあっても、2年前に申請した介護保険の区分はともに最も低い「要支援1」でした。それでも介護保険利用である程度の生活支援を受けることはできますが、全く利用しないままでした。他人を家に入れたがらないこと、施設などに通う気にはなれない、そもそも「介護」など自分たちには無縁であると思っているのです。「人様の世話になどなりません!」という訳なのです。そして介護保険サービスを利用することに踏み切れないまま、老化が進み続け、生活レベルの悪化がじわじわ進んでいたりするのです。本人の自尊心、自立心を大切にすることと、ある程度子供が介入することの矛盾が悩ましい問題です。

◆色々な状況を相談した知り合いの医師の勧めもあって、認知症専門医を受診した結果、母が認知症の確定診断を得ました。専門医の診断は認知症は5年ほど前に発症したと思われ、今が症状が劇的に進み始める直前の段階であるとのこと。この段階で脳機能のリハビリなど行わないと、急激に日常動作ができなくなる可能性があるとのアドバイス。この診断結果をもって介護保険の区分変更を申請しました。しかし認定結果は「要支援1」のまま変わらずであったことに周囲も含めて驚いたものです。〇〇区は判定が厳しいとのうわさを聞いてはいましたが、この変更なしの判定はショッキングでした。厳しい判定の背景には、独居ではなく二人暮らしで日常生活を維持しているらしいこと、認定調査の際に本人たちが「私たちは何の問題もなく生活しています」と断言してしまったことに加えて、子供夫婦(私たち)が積極的に援助しているらしいことなどがあるようです。介護認定には「印象」も重要な要素なのでした。その状況で「要支援1」はあり得ないよ!と友人の医師も驚いていました。

◆要支援1であっても毎週1回または2回の通所サービス利用(脳機能のリハビリ目的)が可能なので、地域包括センターの紹介でデイサービスを契約しました。母本人には見学を通じて了解を得て、気持ち良く通所してもらうように仕向けたのですが、老いた妻を外出させたくないので通所に反対する父を説得するのには苦労しました。二人でのんびり生活を続けるために必要なのだ、機能低下を防で健康を維持するためなのだと理屈を話せば理解はするのですが、妻を外出させることの不安感が強く、何度も「契約解除」の電話をしてしまいました。私はその都度改めて説得して、施設からの迎えの車を待ち、出かける支度を手伝いし、父の妨害がないようにして、すんなりと出て行けるように「毎週送り出し」をすることになったのです。この毎週の玄関までの送り出しは、介護保険サービス利用者側で、つまり家族が行うしかないのです。

◆母の通所は送り出しで継続していましたが、その間に、母は3度ほど転倒しました。3回目は玄関先で転んで顔から出血。父はおろおろするばかりでしたが、隣家の方が機転で救急車を呼んでくださり救急搬送。5針縫った裂傷でしたが、次の週にはデイサービスに元気に出発。母は強いなあと思ったものでした。父はもう長くなさそうだけど母の方は100歳まで行くだろうなあ、などと何となく思ったのですが、実は後にその想像は完全覆されたのでした。

◆昨年末に父が体調不良で寝込むようになしました。かかりつけ医師の診察では、いわゆる老衰状態であり特に病状がなく、自宅で療養するしかないといわれ、ほぼ毎日の実家通いが始まりました。その間、薬の適正服用が出来ていなかったことが主原因で、循環の不良から心臓機能が低下、肺に水分が溜まり呼吸困難で1月中旬に救急搬送となったのです。結局「水分を絶やさないように」とのかかりつけ医のアドバイスは「完全に逆効果」だったのですが、救急病院の専門医によれば、地元の内科医さんに心不全を見抜けなかったことにも無理はないとのこと。医師にも見逃しがあるのです。

◆父が入院したとたんに、一人きりに慣れていない母が精神状態の混乱をきたしたので、私が車で見舞いに連れてゆく日々となりました。さてさて「老衰状態」の父と、一人では暮らせない認知症の母をどのようにケアしてゆこうかと、担当のケアマネージャーに相談していた最中でしたが、入院から1週間後に事態が急変しました。なんと、元気だなあと思っていた母の方が、急死してしまったのです。死因は虚血性心疾患。福岡に出張中であった私に代わって妻が見舞いに連れてゆくために実家に着いたところ、母は倒れていたのです。救急隊員から電話があり、普通病院に行くか、救命センターに行くか選択してくれと言われました。急変だったので救命センターをお願いしましたが、皆さんの措置もむなしく搬送中に死亡しました。救命センターでの措置がもしも間に合って何とか命だけは助かったとしても、おそらく脳機能障害が残ったりして寝たきりになっていたら、その後の判断がより難しくなっていたでしょう。母は私たちを殆ど悩ますことなく、あっけなく逝ってしまったのです。

◆父が入院、母が急死、矢継ぎ早に色々な判断を迫れられることになりました。病院外での死亡だったために、警察を調査を受け、遺体の安置、葬儀社の選定、葬儀のやり方決定、菩提寺の住職との折衝、そしてそれらに伴い必要となるお金の問題が生じました。葬儀のグレイドはどうするのか、僧侶へのお布施はどのくらいか、死亡通知を誰に出すか、納骨先はあるか・・・など皆さんは把握していますか?そして費用の算段はできるでしょうか?私たちの場合はお金の問題は殆ど無かったので助かりましたが、それも少々綱渡りでした。夫婦のほとんどの貯金が母名義の定期預金口座にあったのですが、引き出し可能になるように父の入院直後に定期を解約していました。その数日後に母が急死したのですから、定期預金口座がもしもそのままになっていたら、おそらく大変な資金難になっていたはずです。
落ち着いてから残っていた母名義口座の解約の手続きをしたのですが、銀行によってまったく手続きの煩雑さが違って驚いたものです。某銀行では、母の出生から死亡までのすべての連続した戸籍謄本を要求されて、それらを揃えるのに2か月もかかってしまいました。〇〇区→鹿児島→目黒→新潟と辿って行ってようやく揃った母の戸籍謄本は殆ど歴史資料のように見えます。老親の預貯金は、元気なうちに同意を得て、流動性を確保しておくべきだと痛感したものです。
加入している生命保険などと合わせて、お金の把握は重要ですが、なかなか言い出せない、という状況のままでいるといざとなったときに困るのは目に見えています。また、入院したり、意識がなかったり、認知症が進んでいたりした場合、口座や印鑑やキャッシュカードや保険証券や健康保険証、介護保険証のありかすら分からないのでは、大変なことになります。もちろん兄弟などがいる場合には、のちに争いにならぬような配慮が必要です。(私は一人で助かりました)

◆以上のように、様々な厄介ごとが押し寄せてくることは誰にでもあり得ますが、それこそなってみないと分かりません。それはいつ何時(なんどき)重なって起きてくるかもしれない。まだ元気なうちに相談しておくべきだと、ものの本などにも書いてあっても、本当にそれを実行することが容易ではないでしょう。
お金の管理、薬の管理、食事・栄養の管理、生活リズムの維持、住環境の整備、そして重病になった時の対応準備、延命治療などの受け入れ範囲、相続の方針、などなどを元気なうちに相談したり意見を聞いておくこと、非常に大切なのですが実行は難しいのが実態でしょう。
何も知らずにどんどん事態が悪化し、突然ことが起きたら、子供である皆さんが困ることになるかも知れません。
何と言っても親とのコミュニケーションが最重要。
近隣住民にも状況を話して理解してもらっておくことも重要。
介護保険の入り口ともいえる「地域包括センター」に最低一度は相談しておくことも重要。
介護施設の大まかな種類や、医療機関介護施設の違いや連携の概要も出来れば知っておきたい。
それが無理なら、いざという時にはどこに相談に駆け込むべきかだけでも確認しておくべきです。
様々な選択、判断、決断について、私の場合はたまたま介護職の妻がいたこと、自分が一人っ子のため兄弟の意見対立が無かったことで大いに助かったのですが、もしそうでない場合だったなら、その苦労はどれほどのものになったかと、想像するだに恐ろしいと今になって思うのです。



「親の介護問題」をライフプランの一環として意識されることをお勧めする次第です。
より細かい出来事の数々、そのたびに思ったことなど、別稿で書き留めたいと思っていますので、ご興味あればご一読ください。

期日前投票に行って来た

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自宅からさほど遠くない市役所の支所に行き、期日前投票をしました。私の隣で期日前投票に来た理由を書き込んでいる人が、悪天候の見込みなので、と書いていましたね。

特設投票所は列が出来る賑いでした。

今回の選挙もずいぶん悩んだけれど、誰を国会に送り込みたいかというよりも、誰を落としたいか、どの政党を減らしたいかが主な目的の消極的選択となりました。いつの日か積極的投票が果たせることを夢見て!

久しぶりの健康診断

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仕事環境変化の必要性から久し振りに「健康診断」を受けました。国民健康保険時代には地元の国立市から案内が来る無料の健診をほぼ毎年受けていましたが、2年前に社会保険に加入してからは、有料となったこともあって何となく先送りしていました。

私は一般健診ではよほど大きなものでない限り「ガン」は見つからないと思っているし、すべての臓器、部位のガンを発見しようとすれば、かなりの費用(多分数十万円)を要するし、と考えています。よって、健康診断はガン以外の病気のチェックのつもりでいます。

どこで発生しているか分からないガンを除けば、「一般的な血液検査」で大抵の病気の元はチェック可能だろうと思うので、時々受ける「普通の健診」と「献血の検査」の結果で良しとしています。

 

訳有って今回受けたのは所謂一般健診ですが、国保の健診より項目が多く「バリウムによる胃部X線」と「便潜血検査」が相当に久しぶりでした。特にバリウム+発泡剤+伸身ひねり+逆さつるし?のレントゲンは20年ぶりで懐かしく感じた次第です。
多くの被検者をテキパキとこなして行く看護師さんたちのよどみない連係プレイとか、昔と比べてずいぶん少量になったバリウムとか、いたるところに置かれている雑誌の多さなどに感心しながら、小一時間で終了しました。

 

1週間後に郵送された結果では、殆どの項目で「A」評価、一部の「B」も問題なしで、一応はホッとしました。(しかし、どこかでガンが発生している可能性は絶対に否定できません)
身長が縮んでいたことのショックと、腹回り測定時にうっかりして腹をひっこめるのを忘れたことを後悔しましたが、概ね良好でありました。

 

この結果は、私の日常の健康維持習慣のお陰と自負しています。実践していることは以下のようなものです。全く何もしていないという人には、多少参考になるはずです。

●体重を毎日測定して記録する

●筋トレを週に2、3回行う

●電車で一駅~二駅程度の距離なら時間が許せば歩く

●常に水筒を持ち水分補給を欠かさない(寝る前、起きがけを含む)

●タンパク質を意識して摂る

●気のおけない呑み仲間を確保する

●週一で酒をぬく

●水割り以外の場合は必ずチェイサーを頼む

●深夜のラーメンは諦める

●水を大量に飲みながらサウナに入る

●温泉に浸かる

●音楽を聴く

●あざとい演出の少ないテレビを観る

●たまにギターに触る

●朝は早く起きる

それぞれの項目について方法や効用を述べれば、一冊の健康本ができるでしょう。
高齢化が進み今後ますます増えるはずの健康産業のセールストークに惑わされることの無いように、各自が「自己流健康読本」を書くつもりで健康維持の習慣化を身につければ、医療費増大も抑制され、消費税の減税が実現するかもしれません。みんなで頑張りましょう。それにしても、「メタボ」判定を免れて良かった!!