独立FPの独白ブログ

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コロナ禍に考える:ソーシャル・ディスタンス

「ソーシャル・ディスタンス(ディスタンシング)」も「社会的距離」も昨年までは聞いたことも無い言葉だったけど、このご時世では誰もが知っているはず。一部に今もこれを知らない人または知らないふりをしている人が存在し、夜の繁華街に繰り出しているらしいし、某週刊誌によればある色街のソープランドには多くの常連客が「店を救うんだ!」と「出動」しているとのことだ。聞くだに恐ろしい「距離=ゼロ」というか「濃厚接触するため」に行くのだから驚くばかりだが、これが社会の現実というものなんでしょう!
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新型コロナに見舞われる以前の「平時」からのことですが、私はこの「他人との距離」にはかなり敏感な人間です。例えば電車の座席で隣に座るオッサンや兄ちゃんが、何故だか平気で両足をビローンと開いていると、腿と腿が触れて物凄く気になります。(女性にはそういう人はまずいません。)向こうはそんなことは全く意に介さずで、気楽なもんでしょうが、私は一人でイライラしつつ懸命に両足を閉じています。「嫌なら立てよ」と思うかもしれませんが、こちらに何の責任も無いのに席を立つなんて悔しいではないですか!これまたかなり抵抗を感じるわけで、我慢して座っているのです。


臨時休業からの復活を切望している日帰り温泉でも、私は他人との距離が結構気になっていました。朝の日帰り温泉は基本的に空いていて、洗い場の席10分の7くらい空いています。それなのに、ああそれなのに、何故か私の隣にどっかと座ってくる裸のオッサンまたはジイサンがいるのです。「はあああっ、隣もその隣も空いてるだろうが、なんでそこだよ!」この驚きと苛立ちは、こんな連中には知る由もないのでしょう。この感性の鈍さ、距離感覚の無さ、私には全く理解できず心から不思議に思うのですが、これまた社会の現実というものらしい。私の場合、こういう時には心の中で(ここには書けないような)罵詈雑言を吐いて、とりあえず気持ちを収める、あるいはその場から離れます。だってそれしか避けようがないからね。


人はみな自分勝手なものだから、私はこの感覚が普通のものなのだろうと根拠なく思っていますが、実際はどうなんだろうか?? 対人間隔を感じるその距離感は人それぞれ、ひょっとすると1mの距離があっても、気持ちが悪いと感じる人もいるのかも知れません。どこまでが通常の神経でどのあたりが「異常心理」とか「心の病」なのかわかりませんから。多分世間にはそんな超敏感な人がいるのだろうし、そんな人が都会の密集空間を行き来せねばならない境遇だとしてら、全身総毛立つような思いで日々を送っているとしたら、本当にお気の毒です。想像するのも苦しいくらいです。
だから、私自身の対人間隔を気にする気質(器質?)のことはさておいても、やはり他人とすれ違う時とか、否応なく密接になってしまう場所・場面にあるときには、できるだけリーズナブルと思える距離感を保って接するようにしよう、と改めて思う今日この頃であります。