独立FPの独白ブログ

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コロナ禍に考える:政治と庶民

9年前の東北大震災以降の数年で色々なことを思ったり、怒ったり、憔悴したり、絶望したり、反省したり、学んだりしたことが沢山あります。ところがその経験が私のその後の人生に活かされたかと言えば、どうも心もとない気がします。歴史的危機の最中にある日本及び世界の住人として思うことを、この際(結構暇なので)書き留めておきたいと思うのです。まずは政府とか国家とかについて・・・。


「政府を批判する」なんてことは僕ら庶民が普段は考えもしない次元である。そういうのはジャーナリストとか報道機関とか各分野の専門家たちの仕事です。政治や行政への批判はおろか、基本的に常に無関心で(または無関心を装い)何も言わず、何も行動せず、投票にすら行かずである。しかしその庶民はいざ自分の生活が危ないかも!という現実的危機に直面すると、途端に「いい加減にしろ」だの「税金返せ」だのと言い出します。社会学者・宮台真司氏の言葉では「任せておいて、いざとなってブウたれる政治意識」となる寂しい現状です。

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今回政府が「条件付き家計単位30万円」から「一律一人当たり10万円」の支給に切り替えつつあるのは、珍しく政府が批判を受け止めた(受け止めざるをえなくなった)結果というのは間違いないでしょう。(この政策が正しいのかどうかは別の問題として)
ただし、この政策そのものへの批判だけではなく、布マスク2枚配布とか、首相夫人の団体旅行参加とか、首相本人のお寛ぎ在宅画像だのの「感覚ズレズレ」の出来事と合体した複合批判の結果のようにも思いますから、政治への批判というよりも「気分がおさまらん」という情緒的反感というのが実態とも言えそうですが。


また方針変更の本当の要因は、政策の不備を認めて再考したということではなく、現政権与党の皆さんにとっての生き残り、政権が持たないかも、次の選挙が危ないかも、といったマイナス要因が大きすぎるという危機感ではないかと思います。
まあ結局のところ、組織が動く要因というのは組織自身の損得勘定でしかなく「国民の皆様のために」という大義名分は、そう言わねば格好がつかぬから言っている程度のものではないか。いずれにしても、みんなでブウブウ言えば政治が変わることだって無いことも無い。ということを僕ら庶民が体験したのは事実、ところがこの記憶がいつまでもつだろうか・・・の疑念は残ります。忘れる国民・日本人だから・・・。