独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

親の介護体験記(3:他人との関わりがとても大事)

前回紹介した通り、父が多くの日常の雑事を取り仕切るようになり、母の「一人では出来ないこと」が少しづつ増えてゆく日々が続いていたようです。しかしそのことに私が気が付いたのは認知症の診断を検討し始めた頃でしたから、時すでに遅しだったのだと思います。(ここで取り上げる認知症は所謂老人性認知症のうち、前頭側頭型認知症のことであり、私が母との関わりで感じたり考えたりした個人的な情報であることをご理解ください。)

物忘れ内科で専門医の診断を受けた時に言われたのは、認知症の発症はおそらく5、6年前だろうということでしたが、実はその時期には母の日常生活に変化が起きていました。
母は20年以上にわたって「歌唱教室」に毎週通っていました。自宅から最寄り駅まで15分ほど歩き、電車を一回乗り換えてたどり着くその教室までの往復はたっぷり2時間半ほどを要し、80歳を超えた母にとってはかなりの運動であったはずです。そこで多くの仲間と共に大きな声で歌い、たまにはお茶を飲んだり食事をしたりというお付き合いの時間は、母にとって心身ともに大いに刺激となっていたのでしょう。その歌の教室がある事情によって終了したのが6年ほど前でした。またその少し後になって、自宅近所で週一で通っていた体操教室も、諸事情によって行かなくなったのでした。
それ以降、母の外出は徒歩15分のスーパーまでの買い物と、ごくたまにターミナル駅のデパートに出向いての買い物と食事だけになりました。それも常に父と二人であり、単独での外出は一切なくなってしまいました。
「私は一人では何にも出来ないの」
「私はバカだから何にもわからない」
「全部お父さんにお任せなの」と度々口にするようになったのでした。
分からない、出来ないと思うからやらなくなり、ますます出来なくなる悪循環になっていたのです。

高齢者の前頭側頭型認知症は老化により脳の萎縮が起こって記憶力や判断力が低下してゆくそうです。一人での外出が皆無となってしまった母は自分で考えたり判断したりする機会が減ってゆき、そのことが脳萎縮を加速させてしまったであろうことが、今となっては容易に想像できるのです。
高齢により遠出が困難になって、他者との接触機会が激減するのは、認知症進行の引き金になるようです。ですから可能な限り外からの刺激を受ける機会を作ってあげることは、認知症予防、進行の緩和に有効なのでしょう。

母は専門医の推奨によって(治療として)週に一度のデイサービス(介護保険利用)に通い始めました、認知症の進行速度を少しでも緩めるというのが目的であり、それが治療の限界だったのです。母はもともと仲間と何かすることが一つの生きがいであったようで、デイサービスについては「友達もできて、とっても楽しいの」といつも言っていました。
今年の1月に母は突然の心不全で亡くなってしまいましたが、最晩年の数カ月には得意だった他者とのお付き合いの時間を取り戻して、幸せだったのだろうと考えるようにしています。でも、もう少し早くそのことに気づいてあげれば、もっと良かったのになと思うのです。