独立FPの独白ブログ

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「親の介護」はライフプランの重要課題です!

自分の老後以前に「親の介護」は近年ライフプランニングの重大要素のひとつといえます。FPとして介護保険医療保険の知識を持っていても、実際に体験して初めて分かることが多いのが現実で、親の介護問題もそのひとつです。老親の状況変化から起きる様々なことについて、私が体験して気づいたことを書き留めておこうと思い立ちました。親御さんはまだお元気で何の心配もないという皆さんにも、いざとなって慌てないように準備しておくべきことなどを紹介します。
細かな出来事は続編に回すことにして、今回はポイントのみをアップしておきます。

◆都内住宅街に住む両親は共に92歳の二人暮らしでなんとか自立していたのですが、実は日常生活上に潜んでいる目に見えないリスクが山ほどあったことがこの数年で分かりました。買い物の手伝いという名目で月1~2回程度の実家通いが始まったのは7,8年前だったと思います。本人たちの「自立の意欲」は大切だと思っていたので、細かいことに干渉することは避けていたのですが、実は色々と問題が起きつつあったのでした。
例えば、不要な高額商品の購入、使えない高機能家電を買わされる、緊急性のない住宅改修工事の発注、宝石類の買取訪問の受け入れ、食材などの重複注文、3千円の集金に3万円出す、散歩や買い物時の歩きすぎ、室内での転倒の繰り返し、栄養バランスの崩壊、水分補給不足、薬の不適正服用、誘眠剤の多用などです。これらは自分だけの損失で済むことですが、隣家への迷惑がかかるものもあります。例えばガス漏れ、空焚き、吹きこぼし、水回り事故、ゴミ出しの間違いや生ごみの放置。特に直近1、2年にこうしたことが頻繁に起きていました。(これらはすべてここ3年で私が経験したこと)

◆自立できていると本人たちが考えていても、実際には上記のようなリスクがあって、それらが顕在化するのは時間の問題なのです。少々危うい日常ではあっても、2年前に申請した介護保険の区分はともに最も低い「要支援1」でした。それでも介護保険利用である程度の生活支援を受けることはできますが、全く利用しないままでした。他人を家に入れたがらないこと、施設などに通う気にはなれない、そもそも「介護」など自分たちには無縁であると思っているのです。「人様の世話になどなりません!」という訳なのです。そして介護保険サービスを利用することに踏み切れないまま、老化が進み続け、生活レベルの悪化がじわじわ進んでいたりするのです。本人の自尊心、自立心を大切にすることと、ある程度子供が介入することの矛盾が悩ましい問題です。

◆色々な状況を相談した知り合いの医師の勧めもあって、認知症専門医を受診した結果、母が認知症の確定診断を得ました。専門医の診断は認知症は5年ほど前に発症したと思われ、今が症状が劇的に進み始める直前の段階であるとのこと。この段階で脳機能のリハビリなど行わないと、急激に日常動作ができなくなる可能性があるとのアドバイス。この診断結果をもって介護保険の区分変更を申請しました。しかし認定結果は「要支援1」のまま変わらずであったことに周囲も含めて驚いたものです。〇〇区は判定が厳しいとのうわさを聞いてはいましたが、この変更なしの判定はショッキングでした。厳しい判定の背景には、独居ではなく二人暮らしで日常生活を維持しているらしいこと、認定調査の際に本人たちが「私たちは何の問題もなく生活しています」と断言してしまったことに加えて、子供夫婦(私たち)が積極的に援助しているらしいことなどがあるようです。介護認定には「印象」も重要な要素なのでした。その状況で「要支援1」はあり得ないよ!と友人の医師も驚いていました。

◆要支援1であっても毎週1回または2回の通所サービス利用(脳機能のリハビリ目的)が可能なので、地域包括センターの紹介でデイサービスを契約しました。母本人には見学を通じて了解を得て、気持ち良く通所してもらうように仕向けたのですが、老いた妻を外出させたくないので通所に反対する父を説得するのには苦労しました。二人でのんびり生活を続けるために必要なのだ、機能低下を防で健康を維持するためなのだと理屈を話せば理解はするのですが、妻を外出させることの不安感が強く、何度も「契約解除」の電話をしてしまいました。私はその都度改めて説得して、施設からの迎えの車を待ち、出かける支度を手伝いし、父の妨害がないようにして、すんなりと出て行けるように「毎週送り出し」をすることになったのです。この毎週の玄関までの送り出しは、介護保険サービス利用者側で、つまり家族が行うしかないのです。

◆母の通所は送り出しで継続していましたが、その間に、母は3度ほど転倒しました。3回目は玄関先で転んで顔から出血。父はおろおろするばかりでしたが、隣家の方が機転で救急車を呼んでくださり救急搬送。5針縫った裂傷でしたが、次の週にはデイサービスに元気に出発。母は強いなあと思ったものでした。父はもう長くなさそうだけど母の方は100歳まで行くだろうなあ、などと何となく思ったのですが、実は後にその想像は完全覆されたのでした。

◆昨年末に父が体調不良で寝込むようになしました。かかりつけ医師の診察では、いわゆる老衰状態であり特に病状がなく、自宅で療養するしかないといわれ、ほぼ毎日の実家通いが始まりました。その間、薬の適正服用が出来ていなかったことが主原因で、循環の不良から心臓機能が低下、肺に水分が溜まり呼吸困難で1月中旬に救急搬送となったのです。結局「水分を絶やさないように」とのかかりつけ医のアドバイスは「完全に逆効果」だったのですが、救急病院の専門医によれば、地元の内科医さんに心不全を見抜けなかったことにも無理はないとのこと。医師にも見逃しがあるのです。

◆父が入院したとたんに、一人きりに慣れていない母が精神状態の混乱をきたしたので、私が車で見舞いに連れてゆく日々となりました。さてさて「老衰状態」の父と、一人では暮らせない認知症の母をどのようにケアしてゆこうかと、担当のケアマネージャーに相談していた最中でしたが、入院から1週間後に事態が急変しました。なんと、元気だなあと思っていた母の方が、急死してしまったのです。死因は虚血性心疾患。福岡に出張中であった私に代わって妻が見舞いに連れてゆくために実家に着いたところ、母は倒れていたのです。救急隊員から電話があり、普通病院に行くか、救命センターに行くか選択してくれと言われました。急変だったので救命センターをお願いしましたが、皆さんの措置もむなしく搬送中に死亡しました。救命センターでの措置がもしも間に合って何とか命だけは助かったとしても、おそらく脳機能障害が残ったりして寝たきりになっていたら、その後の判断がより難しくなっていたでしょう。母は私たちを殆ど悩ますことなく、あっけなく逝ってしまったのです。

◆父が入院、母が急死、矢継ぎ早に色々な判断を迫れられることになりました。病院外での死亡だったために、警察を調査を受け、遺体の安置、葬儀社の選定、葬儀のやり方決定、菩提寺の住職との折衝、そしてそれらに伴い必要となるお金の問題が生じました。葬儀のグレイドはどうするのか、僧侶へのお布施はどのくらいか、死亡通知を誰に出すか、納骨先はあるか・・・など皆さんは把握していますか?そして費用の算段はできるでしょうか?私たちの場合はお金の問題は殆ど無かったので助かりましたが、それも少々綱渡りでした。夫婦のほとんどの貯金が母名義の定期預金口座にあったのですが、引き出し可能になるように父の入院直後に定期を解約していました。その数日後に母が急死したのですから、定期預金口座がもしもそのままになっていたら、おそらく大変な資金難になっていたはずです。
落ち着いてから残っていた母名義口座の解約の手続きをしたのですが、銀行によってまったく手続きの煩雑さが違って驚いたものです。某銀行では、母の出生から死亡までのすべての連続した戸籍謄本を要求されて、それらを揃えるのに2か月もかかってしまいました。〇〇区→鹿児島→目黒→新潟と辿って行ってようやく揃った母の戸籍謄本は殆ど歴史資料のように見えます。老親の預貯金は、元気なうちに同意を得て、流動性を確保しておくべきだと痛感したものです。
加入している生命保険などと合わせて、お金の把握は重要ですが、なかなか言い出せない、という状況のままでいるといざとなったときに困るのは目に見えています。また、入院したり、意識がなかったり、認知症が進んでいたりした場合、口座や印鑑やキャッシュカードや保険証券や健康保険証、介護保険証のありかすら分からないのでは、大変なことになります。もちろん兄弟などがいる場合には、のちに争いにならぬような配慮が必要です。(私は一人で助かりました)

◆以上のように、様々な厄介ごとが押し寄せてくることは誰にでもあり得ますが、それこそなってみないと分かりません。それはいつ何時(なんどき)重なって起きてくるかもしれない。まだ元気なうちに相談しておくべきだと、ものの本などにも書いてあっても、本当にそれを実行することが容易ではないでしょう。
お金の管理、薬の管理、食事・栄養の管理、生活リズムの維持、住環境の整備、そして重病になった時の対応準備、延命治療などの受け入れ範囲、相続の方針、などなどを元気なうちに相談したり意見を聞いておくこと、非常に大切なのですが実行は難しいのが実態でしょう。
何も知らずにどんどん事態が悪化し、突然ことが起きたら、子供である皆さんが困ることになるかも知れません。
何と言っても親とのコミュニケーションが最重要。
近隣住民にも状況を話して理解してもらっておくことも重要。
介護保険の入り口ともいえる「地域包括センター」に最低一度は相談しておくことも重要。
介護施設の大まかな種類や、医療機関介護施設の違いや連携の概要も出来れば知っておきたい。
それが無理なら、いざという時にはどこに相談に駆け込むべきかだけでも確認しておくべきです。
様々な選択、判断、決断について、私の場合はたまたま介護職の妻がいたこと、自分が一人っ子のため兄弟の意見対立が無かったことで大いに助かったのですが、もしそうでない場合だったなら、その苦労はどれほどのものになったかと、想像するだに恐ろしいと今になって思うのです。



「親の介護問題」をライフプランの一環として意識されることをお勧めする次第です。
より細かい出来事の数々、そのたびに思ったことなど、別稿で書き留めたいと思っていますので、ご興味あればご一読ください。