独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

平和を祈る日

f:id:fpclu:20160816083026j:plain

毎年のようにブログで紹介している俳句ですが・・「8月は、6日、9日、15日」

これをラジオで毎夏紹介し、日本の8月を特別な思いをこめて語り続けた永六輔さんが亡くなり、その永さんを励ましながら、自らも闘病生活を長く続けていた大橋巨泉さんも後を追うように逝ってしまった。この1年あまりの間に相次いで亡くなった愛川欣也氏、野坂昭如氏も含めて、昭和の終わりをつくづく感じさせる「戦後焼跡派」の訃報が続きました。
それぞれが先の大戦を子供時代に体験しており、テレビやラジオや文章で、戦争の愚かさと恐ろしさを叫び続けていましたが、その言動の背景にあったのは「常に権力者を疑え」という主張でした。

 

戦争を始めるのはいつも権力者。戦争の犠牲になるのはいつも大衆。民主的国家の「主であるはずの民」に犠牲を強いる「民の代表のはずの権力者」。その暴走と迷走を最小限にとどめるための知恵の結集が「近代憲法」ですが、その本質を理解せず、あるいは理解していない振りをして憲法を都合よく扱おうとする権力者。そして彼らにすり寄って生きる取り巻き達が、結託して作り上げた権益構造。そういうものを徹底して疑えと言い続けた戦後派がまた何人もいなくなってしまって迎えたこの8月です。

 

私が13歳から現在まで殆どの作品を読み続けている筒井康隆氏も、上記の皆さんに近い年代(1934年生まれ)ですが、有り難いことに今も現役バリバリです。筒井康隆氏の初期の小説は、戦争をテーマにした作品が少なくありません。「平和を守ろう!」と声を上げることは無い筒井さんですが、戦争を無くすことが出来ない人類の愚かさや、むしろ争いごとを期待する大衆の心理や、個人の理性を飲み込む世間の空気のパワーなどを、たっぷりの皮肉を込めて描いています。以下は初期の短編「東海道戦争」からの引用です。

「戦争が面白いだと?何てことをいう」

「ほう?すると君は、面白くないのか?」

おれはしばらく、自分の気持ちをほじくり返した。

「そりゃ、少しは面白い」

人間と人間社会を一歩引いた(あるいは一段高みの)視点からクールに見つめる感覚は、大人になってからの私に大いに影響を及ぼし続けています。人間の心が大きく歪んでしまったり、社会が制御不能な狂った状態になることもある、そういう恐怖をいつも周囲に感じている「落ち着かない精神状態」であっても、それでも何とか一応日常を送ることが出来ているのは、筒井さんのおかげだと思っています。

 

先日テレビ放映された「日本のいちばん長い日」を観ました。権力者も大衆も含めて社会全体が狂気から脱出する時のもがき苦しむ様子が淡々と描かれていました。私が生きている間に世界から戦争が無くなることはまずありえないと思いますが、少なくともわが子達とその子供達が苦しまないことを祈りつつ、すべての人間が同様に希望すれば、平和が実現するはずなのに・・とため息をつく思いで今年も8月15日が過ぎたのでした。

 

今年も式典で追悼のお言葉を述べられた天皇陛下は、おそらく日本で最も強く戦争を憎み平和を祈っておられる方だと思います。陛下のお生まれも1933年12月、少年時代に敗戦を迎えられたお一人です。