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独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

個人・国家・世界について書きたいことは山ほどあるのに・・・

ブログに書きたいことが沢山ありすぎて、というより書こうとすると次々と思いがあふれ出てきてまとまらず、考えをまとめてから書くことにするといつまでも書けない・・・という状態がここ数カ月続いている。やはり、文章を業としているプロはすごいのだなあと、当たり前のことを感心しているようなわけなのです。


何か意見を述べたいと思う対象をちょっとメモってみると・・・

そもそも国民の半分しか投票しない選挙で一応当選した国会議員が、国民の代表であるということがどうにも感覚的に納得できない。

最高裁から憲法違反の状態だと指摘されている国会議員憲法改正とか憲法解釈変更とか言うのは一種のブラックジョークでしょ。

  • 9条を守る

軍事力行使を排する理想を掲げることを私は強く支持するけど、自衛隊がOKという解釈であるなら、そのことについてもきちんと言及すべきじゃないのかなあ。集団的自衛権違憲と思えるし、その前に自衛隊違憲と思うけどなんで議論しないの?・・・。

近代の憲法は権力の暴挙から国民を守るために権力を縛るのが本質的な役割、ということが日本国民共通の理解になっているのかは非常に疑問だ。

三権分立ではなく本当は全部お仲間じゃないの? 根回しや抱き込み作戦、多数派工作とかがお家芸の日本人には「熟議」などあり得ないのではないのか、互いの立場を尊重しつつ独立の立場で喧々諤々の議論を交わして最適解をもとめるなど夢のまた夢のような気がする。

  • 平和ボケ

「平和ボケ」というのは正しくない。世界中に戦争をまき散らし続けている巨大帝国の看板持ちというか小判ザメというか、つまり「対米従属ボケ」が正しい理解ではないかなあ。「戦後日本人は一人も殺していない」と言うけれど、間接的にはどれだけの人間を殺しているのだろうか。見て見ぬふりってまずいよなあ。

愛国心と聞くと単純に「右翼活動家」「保守政治家」「軍国主義」などのイメージが浮かぶ人がとても多いように思うが、本当の愛国心とは何かと自問自答してみたことがあるだろうか。 私にも愛国心があるんだろうか。

自由といえば聞こえが良いが、黙っていると放蕩、放置、傲慢、暴走、そして行き着く先には大量自滅が待っているのではないか。
また、自由の獲得のためには必ず暴力(権力など)による牽制が必要となり、自由が束縛されるという矛盾をどう考えれば良いのだろう。

  • スポーツの感動

スポーツの祭典にはいつも単純に感動してしまうが、五輪もW杯もみんな金まみれ、結局、運動能力に優れた人間たちを金儲け能力に優れた人間たちが、もっと金持ちになるために利用してしまうのがどうにも悲しい。そもそも大衆の不満解消のガス抜きから始まったらしいという歴史も悲しい。

  • 戦後教育

民主主義とか三権分立とか戦争の歴史とか個人と国家とか個性と連帯とか・・・ちゃんと教わった記憶がありません。 個人が自立して自分の意見を持ち社会を構成してゆくというような「近代的な国家感」などを自分で考えられるような人間が、一人でも増えないようにという基本方針のもとに組まれたのが戦後日本の教育システムであるに違いないと思うなあ。


それから・・・
原子力発電、米軍基地、航空管制、思いやり予算地位協定日本国憲法、貿易交渉、英語教育、郵政民営化、農協改革、金融ビッグバン、尺寸廃止、給食のパン食、人間宣言、航空機技術、顔の見えない日本人論、終身雇用批判、雇用流動化、商店街の衰退、大規模店舗法、独占禁止法・・・・・


これらの事象が示すことは、「日本の構造」の重要な部分はすべての分野で、あの超巨大帝国の世界戦略に沿って決められているという「日本の真実」です。このことに気付いたのは10年前、私にそれを教えてくれたのが関岡英之著の文春新書「拒否できない日本」でした。私のモヤモヤはここから始まった訳なのですが、おかげで、社会のこと、国のこと、世界のことを知りたいと思う気持ちに火がついて、色々と勉強することになったのです。心から感謝しています。
これからも少しづつ少しづつ人間のことを理解できるようになりたいと思います。ますます分からなくなるだけかも知れませんが、分かりたいという気持ちを持ち続ければ良いと思うのです。


書きたいけど書けない状況から脱出して、さあ、思いつくままこれからも書いてみようと思う今日この頃であります。
10年前に私の頭をガツンと殴ったこの書籍を再度紹介です。 私の遅ればせながらのお勉強はここから始まったのです。

拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる (文春新書)

拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる (文春新書)