独立FPの独白ブログ

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幼年期は終わらない・・気がする

国会前、最大規模の集会 市民ら安保法案に反対
 安全保障関連法案に反対する市民団体が30日、国会近くで集会を開いた。同法案に関する抗議行動では最大規模で、主催者は約12万人が参加したと発表。雨の中、参加者は国会議事堂を取り囲み、車道にもあふれた。一斉行動も呼び掛け、主催者によると全国200カ所以上でデモや集会を実施。反対の民意の広がりを強くアピールし、安倍政権に廃案を求めた。(東京新聞2105.8.31)

夏の終わりの日曜日に全国で展開されたデモや集会に関して、日本社会に変化が起きつつあるという見方を語る人もいます。これだけの大規模な政治的抗議行動は日本ではとても珍しいことだ、という主旨の報道が複数の海外のメディアから出されてもいます。
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この写真と冒頭のニュース文章はいづれも東京新聞のものです。私は数年前に朝日新聞から切り替えて東京新聞を購読していますが、8月31日朝刊の一面が次の写真です。一面トップほぼ全面の扱いで、他に社会面などでも関連記事が載っていて大変に大きなニュースの扱いです。f:id:fpclu:20150831172414j:plain
さて、新聞を複数読んでいる一般市民は非常に少数でしょうから(っていうか、そんな人いないよね!それが商売でない限り)このニュースについて新聞によって扱い方が大きく違うことを知らない人も多いでしょう。例えば産経新聞や読売新聞ではこの日のデモや集会はちょっとした出来ごと程度の扱いであったと、ラジオ番組で知りました。新聞は中立・公平なんてことは絶対にないのです。


また、ある有名政治家は「こんなに少数のデモで国の政策が左右されてはならない」とツイートしたらしい。また、ある有名な漫画家氏は「デモの映像を見て首相は却って張り切っている。おじいちゃんのように、愚民に負けない立派な宰相だと評価されるように頑張るだろう」というものです。おなじ出来事に関しての見方が、そして伝え方が、こんなに違うのです。 私は10年位前からマスコミ報道に公平中立なんてありえないと考えていますし、むしろ大事なのは受け取る側がそういうことを自覚することでしょう。新聞社にはそれぞれの立場があり、テレビ局には色々な事情があり、みんな自分が生きるために日々を送っているのです。


私は今の政権がやっていることの多くについて反対だし、国家主義的な考え方と米国従属温存のこの政権が早く終わってほしいと心から望んでいます。しかし、それは私個人の考えであるに過ぎず、そんな考えは非現実的で愚かだと断言する人が沢山います。 自立した国民が国家を形作る、つまりあくまで国民主権が近代だということになっていますが、国家があってこその国民だという考え方も確かにあります。人を殺したり殺されたりしたくないので私は戦争絶対反対だけど、自由を獲得するためには戦争の覚悟も必要だという考えもあるのです。
それらの意見の対立は左対右のガチンコ対決なのではなく、様々な考えの共存状態なのだと受け取るしかないのでしょうし、そして異なる意見を擦り合わせて妥協点をさぐる議論を継続するしかないと思います。


私は私の考えについて共感を得たいと欲してはいますが、しかし、みんなが共感することなどはあり得ないことにも気づきました。繰り返しますがこんなにも異なる意見、異なる見方、異なる伝え方があるのが現実なのであって、同意、共感、異論、反感をすべてひっくるめての人間社会、そこに私たちは暮らしているということを、みんなが自覚してほしいと思うのです。


今のところ人類は対立を無くす手段を見出しておらず、また対立をメシの種にして生きる者も後を絶たず、よっていつまでも戦争は無くならないでしょう。人類はまだ当分の間は幼年期のようです。 対立は続くけれど、できるだけ犠牲を少なくする方向で話し合い、付き合い方を工夫する努力をするしかないと思います。
思えば、そんな人類の宿命を、何となく気付かぬ振りで、他人事で過ごしてきてしまったのが戦後70年の島国日本の真相なのかなあ、とため息の出る夏の終わりです。