独立FPの独白ブログ

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半分近くが不参加の選挙なんて無効じゃないの??

先週投開票があり政府与党の圧勝となった参議院選挙の結果について、思ったことを忘れないうちに書き止めておこうと思います。
なんだかもうすでに「どうでもいい」ような気分になりつつありますが、やはり考えさせられることは沢山あったのです。


最も気にかかることは、なんといっても戦後3番目とか言われる「異様に低い投票率」です。
バブル崩壊から長く長く続いている不景気、デフレ、雇用の不安定、賃金の低下、社会の包摂性の崩壊などなど、という暗い世相の日本の社会です。
そして東日本を襲った大震災と津波被害からの復興はなかなか進まず、さらに「これまで体験したことのない」原発事故後の放射能汚染が我々の生命、生活に直接影響を及ぼしているこの時期に、また世界と日本の関係性をいやでも意識させられる多くの事が進行中のこの時期に、この未曽有の困難な時期に、それなのにこの低い投票率だったということは、日本人として決して見逃せない事実だと思うのです。


数年前に熱狂した政権交代が幻想だったという失望感、あれもダメ、こちらもダメ、どいつもこいつも自分の保身ばかりの政治家など、誰がなっても同じこと。どうせ流れは決まっているなら、みんな流れて行けばいいじゃあないかという「やけくそ感?」
その感覚は良く分かります。だけれども・・、こんな時代だからこそ政治が大事なはずだし、こんな政治状況だからこそ、一般市民が政治に関心をもちそれぞれのスタンスで考え、参加するべきなのだと私は強く思います。


それと、今回選挙戦のさなかに政府与党サイドから盛んに言われた(ついでにマスコミもこぞって謳いあげたスローガンの)「ねじれの解消」ということば。これってものすごくおかしい、というかいい加減というか、変ですよね普通に考えて。
ねじれが「解消」というからにはねじれは悪いことなのであるというスタンスの者たちが、簡単に言ってしまえば「異なる意見の人達となんだかんだと議論するのはカッタルイ!」という本音を恥ずしかしげもなくさらしたという情けない状況でしょう。
議論しないのなら議員は不要、議会は不要で、議事堂などはいっそ国営映画館にでもしてしまえばいいのです。(あるいはゴジラに踏みつけられて壊れてしまえ!!)


それにしても、選挙民のほとんど半数に近い人たちが投票しないというこの日本の現実は、私の感覚ではやはりアンビリーバボーです。そのように思う人が半分くらいはいるのだろうか?(私の周りには沢山いるのだが・・)
思えば戦後の日本国が(日本国民ではなく日本国が)目指してきたと思われる「物言わぬ従順な民衆の大量成育」という大プロジェクトが一定の成功を収めているという証なのであって、大変喜ばしいことでもあるのでしょう。(誰にとって??)


日本の開戦と敗戦の真実を伝えず、民主主義の本義を切々と語る授業は無く、法学部の一部の学生しか憲法の本義を理解しないままだし、考えることよりも記憶して反復することしか期待せず、異論反論は言わぬが花と思いこませ、みんなが同じような顔つきで同じような考え方になるように仕向ける、という教育の大きな成果がここにあるのでしょう!


この日本人タマシイ抜きプロジェクトの本拠地は一体どこにあるかというと、多分どこにも本部も会議室もなく、「そういうほうが都合いいよね」と考える政官財報学の各分野の者たちが、おそらく阿吽の呼吸で進めているというたぐいのものなのだ。目に見える実体ないプロジェクトチームだからこそ、やっかいなのだ。


ああ、やっぱり深い深いため息をつかざるを得ない我が日本の選挙事情なのだ。こんなんでいいのだろうか・・・。
それでいい、それでいい、と言いました、マル