独立FPの独白ブログ

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東京五輪誘致の後ろめたさ

私が投票した人とは違う人が新都知事になったのですが、兎にも角にも「新しい都知事」で新年を迎えられたことは大歓迎と思っている今日この頃です。


当選確実になった際にも万歳三唱をしなかった猪瀬新都知事です。五輪誘致活動の色々なイベントやパフォーマンスの「祭りだワッショイ」の雰囲気はどうにも似合わない感じで、何か「無理してる感」があるという人も多いですね。
前知事からの引き継ぎ事項であるし、ご本人も毎日のようにジョギングをしていることですし、当面は頑張っておやりになるのでしょう。


東京五輪誘致活動に対して非常に冷ややかだった日本国民も、昨年のロンドン五輪での日本選手たちの活躍ぶりに触れて期待感を取り戻しつつある・・・というように誘致積極派は言いたいようですね。ある調査では石原都政時代に3割程度しかなかった国民の支持率は6割ほどにアップしたとか・・・本当だろうか?


思い起こせば1964年の東京五輪、私は10歳で小学校5年生、子供の行動範囲は限られるし、テレビは白黒だったし、インターネットも無いし、新幹線ができたばかりの発展途上の日本国での開催だったのです。
現在の日本で開催されれば当時とは比較にならぬほどの多くの楽しみが待っているはず。開催決定となればおそらく1、2年くらい前から多くの日本人が長年忘れていた高揚感に浸る日々を送ることにもなるでしょう。


そうです、私だって日本でのオリンピックを、ぜひ大人として経験してみたい。その気持ちには間違いはないのですが、しかし、どうしても、なにか引っかかるものがあって、素直に「是非東京五輪の実現を!!」と声を上げる気にはなれないのです。
その引っかかっているものというのは、もちろん、今の日本が置かれている状況についてのもやもやした気持ちです。


原発事故が先の見えない状況が続いているにも拘わらず、新政権は原発維持を平然と宣言するし、地震・津波の被災地の復興事業は「火事場泥棒」たちによる予算分捕り合戦の餌食になっているし、世界一危険な普天間基地の返還もままならないどころか、あのオスプレイの装備を更に増やすというメチャクチャを平気でスルーするのが日本の現実です。
およそ人権とか民主主義とか国民主権とかの意識が世界でもかなり遅れていると思えるこの国で、世界平和の祭典など開催する資格があるんだろうか。



日本人は忘れるのが特技の国民ですが、さすがにあの3.11のことを心から消し去ることのできる人はそうそう多くはないでしょう。福島を、東北を、沖縄を差別的境遇に置き続けている日本では、オリンピックを楽しむ気にはなかなかなれない、そのように思う人が少なくないのだろうと思います。