独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

「ボーナス」とはうらやましい限りです

東京電力の冬のボーナスは37万4000円(一般職の組合員平均)。夏のボーナスに引き続き、基準内給与の1か月分となっている。昨冬の84万4000円と比較すれば47万円の大幅ダウンだが、原発事故で福島県の避難者たちが今も苦しい日々を送っていることを考えれば「もらいすぎ」「ゼロで当然」との声が出ないか、その方が気になるようだ。(週刊ポスト2011年12月16日号より)

日本のみならず世界の環境を大きく破壊する原発大事故を起こし、巨額の賠償金支払いと事故処理費用の長期支出が続くのが確実で、業績がどうのこうのとはとても言えない状況の電力会社でも、減ったとはいえちゃんとボーナスを支給できるというのは、私の感覚では誠に不思議と思えます。業績のアップダウンなどと無関係な(〜だからこそ安定した報酬を約束されているはずの)公務員や国会議員のボーナスというのも意味が分かりません。


そもそもボーナスとは業績に応じてアップダウンする性質のものではないでしょうか。そうではないのなら、はじめから月給に組み込めば良いのです。しかし、成果報酬的な性質であるはずのボーナスが現実には、勤労者にとって年間収入の予定に織り込まれているのですね。


私が会社員だった頃に、大手企業に勤める同級生と比べて月給が低いのに、ボーナスは同程度だった時期がありました。当時、厚生年金や健康保険の社会保険料は基本的に4、5、6月に支給された給与額が基準になっていましたから、年間給与の内訳としてボーナスの割合が多いのは社会保険料を低めにするためなのではないかと疑ったものでした。(真相はわかりません。また現在はボーナスも保険料算定基準に含まれています)


以下は、上記記事の続きです

ある40代の東電社員がうなだれる。
「ボーナスが出ていることで、世間から“まだ甘い”といわれるのは当然だと思います。ですが、これまでボーナスを“生活費”に組み込んでいただけに正直やりくりは厳しい。今年の夏も冬も全部ローンの返済に回します」(週刊ポスト2011年12月16日号より)

ボーナスというのは貰う人にとっては既に生活資金に組み込まれている予定収入であるし、それを使わせようとする様々な業界の営業にとっても同様なのです。自家用車購入時のローンにも、住宅ローン返済計画にも必ず「ボーナス払い」が含まれていますよね。
住宅販売の広告で「5LDKの新築高級住宅が家賃並み月額10万円で!」などというのをよおく読みと小さな文字で「ボーナス払い25万円、年2回」などと書いてあったりします。

支払う側のボーナスも、受け取る側のボーナスも、使わせようとする側のボーナスも、それぞれ思惑が絡んでいるわけですね。
ちなみに私は独立して以来12年間、ボーナスをもらったことは一度もありません。(^_^;)