独立FPの独白ブログ

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ソーシャルメディアとご挨拶

ついにリビアのカダフィが死亡して、数十年続いた圧政時代が取りあえず終焉を迎えました。チュニジア〜エジプト〜リビアと拡がったアラブ諸国の民主化運動(革命)には、Facebookなどのソーシャルメディアが多いに役割を果たしたと言われます。また、経済格差反対デモがソーシャルメディアの呼びかけを介して世界に拡がっています。


私も今年の初めにFacebookに「一応登録だけ」してみたところ、思いがけずアメリカに移住されたお客さんの顔写真を発見。これはスゴイと感じて少しづつ使い始めたところです。
機能が多く、複層的なため使いこなすには相当に時間がかかりそうで、ようやく使えるようになった頃には新たなネットワークサービスが出現しているような気もします。


使いこなせていない私が特に何も書きこまず、ほとんど関わらないような状況であるにも拘らず、時々「友達リクエスト」の通知が舞い込みます。どうも不思議に思うのは、多くの人がなんのコメントも無く、ただただ友達リクエストを送信してくることです。


ミクシイなどでは確か何らかのメッセージを伴って「こんにちは、友達(マイミク)になって頂けますか?」などとやっていたと記憶しています。
自己紹介もなく季節のご挨拶も無く、いきなり握手を求められるような感じがして、私には違和感が強いのです。みなさんは気にならないのでしょうか?私が異常なのかなあ?


それからもうひとつ、どうもなじめないことがあります。例えば「友達」が「私の知らない友達」と交わしている会話、写真のやりとり、「いいね」の交信などを見ていて、ぼくも仲間に入れてください、というのがどうしても出来そうもないのです。
気軽に他人との関わりをスタートさせるのが「いいね」ボタンをクリックすること、ということらしいのですが、私は「いいね」も結構躊躇します。


リアルの社会でも他人の会話に、躊躇なくするりと入り込んでゆける人がいるものですが、私はそういう人がどちらかというと苦手ですし、自身ではそういう行動はとりません。
こういうのはそもそも私の一人っ子の性格なためかなあと思うのですが、しかし、これでも社会人になって36年も営業の仕事で食べているのになあ。なんて、色々思ってしまう。


中には数百人の友達を持っている人もいるようですが、なんだかおかしいよなあ。
考えてみると「友達」という用語自体になにか不都合なあるのかもしれません。それとも欧米文化と倭人感覚のカベかしら?
とにかく、私が友達リクエストを送信する際には必ずメッセージも同時に送っています。


私は変わっているのでしょうか?  でも、挨拶くらいしようよ!