独立FPの独白ブログ

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知る権利と知らない罪

3.11以来、私はツイッターをチェックしない日はありません。ツイッターから入ってくる情報には、例えばテレビのニュースを通じてではまったく知ることのできない事実も含まれています。


もちろん、ツイッター上には「とんでも情報」やら「超偏向見解」やら「聞くに堪えない罵詈雑言」「カルト的煽り」などが混在している可能性が大いにあります。
しかし、私も結構いい歳になって、聞き分ける能力や人を見る目もある程度は持ち合わせていると思っています。なので、この人の書いていることはどうも怪しいとか、こういう表現を平気でする人は信用しないほうよさそうだとかは分かります。そうして自分なりのフィルターが出来てくると、意味のある情報の濃度は高まって来るように思うのです。


ツイッターでは、つぶやきを読みたいと思う人を登録し(フォローする)、読みたくない人については登録しない、あるいは拒否する(ブロックする)ことができます。自分の気に入らない表現、持論と異なる意見をフォロー解除やブロックで避けていると、自分本位の非常に偏狭な世界に落ちてゆくという危険性はどうしても付きまとうとは思います。
しかし、すべての情報を完全にフラットに受け止めることなど、人間である私には所詮不可能。もともと、ひとは好き嫌いで物事を判断するものでしょう。


「自己ちゅう」になってしまう危険もありうるとの自覚を忘れずに、時々は、見聞きしたくないような異論にも触れてみることを心掛けていれば、それほどの情報鎖国状態に陥ることはないだろうと思っています。


毎日ツイッターのタイムラインを読んでいて感じるのは、この情報チャネルを使っている人とまったく使わない人とでは、場合によっては相当の情報格差が生じる可能性があるなあということです。


たとえば「脱原発デモ」や「記者クラブ解体デモ」でリーダー的存在の市民活動家が、電車内での痴漢行為で逮捕されていた、ということなどは、ツイッターを見ていなければ気づかなかったでしょう。(つい先ほど知りましたが、冤罪の疑いが提起されています。)


日本人は平和的で温和で心やさしい人々と思いたいところですが、権力組織とそこに群がり利権で食べている者たちは、同じ国民であっても決して平和的ではありません。
権力が都合の悪い人物をハメルという恐ろしいことは実は沢山起こっているようですが、新聞テレビだけしか見ていない人には、そのような情報はほとんど入ってこないでしょう。


日本人は3.11犠牲者の魂に報いる意味でも、「知る権利」と「知らない罪」についてもっと深く考えるべき時だと思います。「知らぬがホトケ」で安穏と生きる人生を、私は選びたくありません。