独立FPの独白ブログ

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「権力」という悪魔との距離

表題のようなことを本気で考え始めると、おそらく一冊の本になるくらいこれは深い重いテーマでしょう。この数日間の新聞テレビのトップニュースを見ていても、必ず「権力との距離」という問題が含まれているような気がします。


かつての戦友を裏切り同胞を騙してまでも、居座り続けた我が国首相の最終目的は最高権力者になることだったのだという噂。


国家の最高権力者ですら止められたのは一基だけ、という原子力ムラという姿形の見えない不思議な権力構造。
そして原発推進という巨大プロジェクトの恩恵にあずかろうと、周辺の産業界がその生き残りのためにすり寄らざるを得ない電力会社という不思議な権力組織。


「次期首相を決めるのは結局は闇将軍の小沢一郎氏」という単純政局解説を展開するしか能の無い、新聞テレビの政治記者さんたちの権力認識とは何なのかという疑問。
政治主導は絵空事だと言うなら、実体として権力を行使しているはずの行政官僚組織を権力者として批判対象にするべきなのがジャーナリズムの本義ではないか。
報道機関が権力に擦り寄ってどうするんだ!(ああ、また怒りがふつふつと・・・)


先日突然の引退宣言をした島田紳助氏はある時からウラ社会の権力者とつながりができた。その後のテレビ界での成功や、様々なビジネスを展開してきた過程で、裏社会のボスの存在が影響したことは無かったのだろうかと思ってしまいます。(私は「オレたちひょうきん族」の頃から好きになれなかったから、引退でホッとしてますが・・・)


国家権力継承の計画は、周辺国との様々な外交セレモニーという形を含めて淡々と進行中なのだろうなあ、と思わせる北朝鮮最高権力者の最近の動き。


北アフリカ・中東で独裁政権が次々と崩壊する革命を見るにつけ、日本の権力者はなんと楽チンな、ぬるま湯状況にいるのだろうかとため息が出ます。(日本では未来永劫、市民による革命は起きないでしょう。)
独裁権力者は自ら責任をとることは無いが、権力を監視するシステムがほとんど存在しない日本国家ムラの権力者も、責任をとらないと言う意味では同罪ではないだろうか。


考えてみれば権力は、それを行使する対象がなければ何の意味もありません。結局、権力の性格というものは「それを行使される者たち」つまり私たち市民の姿勢の裏返しの姿なのでは・・・。
権力との距離や、権力との接し方、権力の信任のしかた、誰がどうやって制御するのか、簡単ではありません。
ううむ、ムツカシイ、勉強が足りません・・・この辺でおしまい。