独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

遠くにいては本気になれない!

先日、岡山在住の知人と電話で話していて、距離ということについて思うところがありました。日本という国は狭い国と思うことも多いですが、実際に6〜700キロも離れた場所では、やはりその感覚は異なることが多く、結構日本も広いなと思ったりするのです。(岡山と東京はそのくらい遠い)


彼が言うには、近いうちに東京に行く用事があるのだが、電車が止まったりすることは無いのか少し不安だというのです。多分、原発事故の影響による電力不足ということからそう考えたのでしょうが、東京に住んでいる人間で真夏までまだ間のある今の状況で、停電を心配する人はいないのです。計画停電は、原発がないと電力が不足すると思わせるためのプロパガンダだった、という説もありますし・・・。


遠い近いは人間の感覚の問題であって一概に言えませんし、年中出張であちこちを飛び回っているビジネスマンと、最寄りの駅前商店街や近所の公園までの散歩くらいしか家から離れることのない高齢者とでは、距離の感覚はものすごく違っていることでしょう。


毎日危機的状況が続いている東京電力の事故現場と我が家の距離は約270キロほどですが、この距離は遠いのか近いのか・・・?? 
原発事故のことを思う時はこの距離は近いと感じますが、しかし今後たとえ大規模な水蒸気爆発が起きたとしても、放射能が我が家の上空に届くまでにはおそらく数時間はかかるだろう、つまり逃げる時間はあるだろうとも感じます。
避難対象地域の少しだけ遠くに住んでいる人々は、原発事故の現場をおそろしく近くの恐怖と感じていることでしょう。


阪神・淡路大震災の時には被災地に物資を送ったり、仮設住宅にボランティアに行ったりもしたのですが、それでも自分の住処からは遠く離れたところで起きていたこと、やはり正直に言って他人事だったのではないか。今になってみると、そう感じるのです。
今回起きた東日本大震災はやはりかなり近くで起きたことであり、なおかつ現在進行中の原発事故はより近くで起きていることと感じています。とても他人ごとではありません。


どんなに可能性が予見されることであっても、実際に経験していないことについてはなかなかイメージすることはできない、また、経験した者にしか分からないことが多い、これは人間の性なのでしょう。
ですから、組織のトップで物事を決定する人間は、出来る限り現場の近くに配置するべきなのだろうと思うのです。指揮系統を維持するためにトップは安全な場所にいるべきだというもっともらしい理屈は、実はトップの自己保身の本音をごまかす理由づけではないのかなあ。


いざ事故が起きたら自分が真っ先にやられると思えば、当然それは他人事ではなく、安全対策にしろ、事故対策にしろ真剣に考えたはずでしょう。
原発事故現場に最も近いところの指揮官と、最も遠いところにいる役員諸氏の責任感と危機意識は、距離の違いの10乗もはるかに超えるほどの違いがあるのではないだろうか・・・。
とつくづく思うのです。