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独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

それぞれの思いをつなげましょう

公共広告機構」のCMもそろそろ我慢の限界に近いと感じる今日この頃です。
今日の東京は計画停電が無さそうですね。
計画停電の実施により我が家では16日の夜6時40分から8時40分にかけて2時間の停電となりました。長男が珍しく早めに帰宅したので、久しぶりに3人で夕食を頂きました。


おそらくここ20年くらい出番が無く、ひたすらこの時を待っていた非常用ローソクが大活躍です。太め、短めで安定感のあるローソクを2本食卓上に置き、電池式のラジオで被災地の困難な様子を聞きながら、少々質素な夕食を済ませました。
食べ終わったころに普段より2時間ほど早く次男が帰宅し、はからずも薄暗がりのリビングで家族みんなの無事を再認識。
「日常」でいられることをこんなに有り難いと感じたのは、おそらく生れて初めてと思います。そして私自身は「何が最も大切か」を心の底で深く理解したと感じました。


書類を届けに保険会社に行ってみると、停電対策でセキュリティシステムを一時停止しているので、いつもは外部の人間が勝手に入れないドアが開放されていました。保険会社社員の顔が見えて、普通に挨拶して、なんだか連帯感を感じました。平常に戻っても、ドアのセキュリティは要らないんじゃないかなと感じました。
普段は点けっぱなしの応接室の蛍光灯が消灯、事務室内も半分くらいしか点灯していませんでした。みんな、それぞれの現場で生真面目にこまめに節電を実施しています。


クルマで甲州街道移動中に信号の消えている交差点で左折待ち停車。3名の警察官が懸命に交通整理中でした。
日頃は「軽微な違反で点数稼ぎばかり」と敵対心を感じていた私なのですが、ビュンビュン通過し続ける沢山の車の間に立って働く警官の方々に、心の中で敬礼して少し頭を垂れつつ通過しました。おそらく今、日本中の多くの公務員の人たちが、震えるほどの使命感で現場に立っておられるのではと想像します。


帰宅途中でちょっとした買い物を思い出して立ち寄ったデパート(聖蹟桜ヶ丘の京王・アートマン)では、こちらも蛍光灯を半分だけ点灯。売り場の中全体がセピア色に染まった感じで、なんだか妙に落ち着いた雰囲気です。いつもは商品を引き立たせるためか、目イッパイ明るいのが当たり前の商品売り場ですが、その明るさが本当に必要だったのかどうか。
レジカウンターのお姉さん方はみんな、いつもよりも穏やかで且つ明るい雰囲気の表情と声で対応しているように感じました。「ありがとうございます」ただそれだけのことでしたが、なんだかとっても感動しました。


前日JR立川駅ではホームに降りるエスカレーターが止まっていて、杖をつきながらゆっくり降りるお年寄りを、20代の青年と60代くらいのおばちゃんが(全員赤の他人同士)両脇を支えて階段を下りる場面に遭遇しました。ご老人は「どうも有難うございます」と深々とおじぎ。


みんながそれぞれの立場で懸命に、冷静になろうとして、落ち着こうとして、優しく振舞おうとしています。東北の苦悩に思いをはせながら、青空の中に浮遊する放射能を想像しつつも、生真面目に節電に協力し、何かをしたい気持ちを胸に秘めつつ日々を送っています。
沢山の外国からの支援協力の申し出や、日本国民の冷静さへの称賛の報道にも、感動の涙が抑えきれません。


日本人は今、間違いなく、置き去りししてきた何かを、忘れかけていた何かを、失いつつあった何かを、はからずも思い出している最中です。今、僕たちが感じていること、思っていること、守ろうとしていることは僕たちの本来の力だと思います。


ただ同時にもうひとつ感じてしまう日本人の日本人らしいところもあります。どちらか一方向に意識が向かうと、それだけが正しいと思いこんでしまうクセについてです。
海外から称賛されている「略奪の無い日本国民」ですが、何も全ての日本人がそうであるわけではなく、義援金詐欺師も、便乗買占め業者も、火事場ドロボウもちゃんと存在するのです。


苦難の時には信じ合うことが最重要ですが、「盲信」であってはならないのです。政府や東電を非難するばかりでも無意味ですが、批判を放棄して全て受容するのも完全に間違いだと思います。個々人の感性も多様ですし、正義感も多様です。情報についても多様であるべきでしょう。


しかし、少なくとも今は「なんとか頑張ってくれ」「出来る限り無事でいてくれ」と祈る心は全てのひとに共通するものでしょう。支援の物資や義援金と共に、その思いを送りたいのです。