独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

国際社会はジャングルだから…

尖閣諸島近海の事件の顛末と、検察組織の体質が露呈される一連の出来事、そしてそれらを報道するマスコミの態度などから、今日もまた暗い気持ちで日本のことを考えてしまいます。


日本人は「権利」についての問題意識が希薄であるらしいといつも思っています。その理由として、これまでの歴史の中で「権利の獲得」に市民自身が血と汗を流した経験がないからというのはよく言われていることです。どこからか与えられた権利に無自覚に乗っかっているだけ、であるなら、これはやはり悲しい状況です。


「権力」というものは個々の人間の「権利」を簡単に踏みにじってしまえるほど強大な恐ろしいものである。だからこそその権力の暴走を防ぐために色々な制度が作られている。そしてその制度の実現主体は基本的に個々の人間、つまり国民ということになっているのが近代の国家の在り方です。
しかしその権力の暴走を食い止めようとするはずの当の市民が、さほどそのことに関心を持っていないのであれば、それらの制度はあまり機能しないことになります。


権力の暴走を防ぐべく国の権力構造を一局に集中させないように立法、行政、司法を分権分立させている。国民は選挙によってその意思表明のための代表者を国会に送り、その代表者たる国会議員が国民の声を吸い上げつつ議論し政策を立案し、実現のために法律を作る。
しかし、少なからぬ日本人が「誰がなっても同じでしょ!」などと実態も知らぬままに白けた素振りを平気で見せる。


国民は国の行政官庁の執行者を直接選ぶ手段を持たず、したがって国民の意思→政治家の選出→国会の決定→行政のコントロールという流れの方向が明確にされているはずだが、少なからぬ日本人が行政の上層部について「偉い人」という認識を持っているようだし政治は他人事だ。
その結果日本の国の統治構造はどうやら、民主的というものからはかなり遠いところにあるようです。


昨年夏の歴史的政権交代は「国の方向付けを官が仕切っているゆがんだ状態から、ごくまともな国民主権の状態に少しでも戻すこと。そのことを多くの問題解決の突破口として欲しい!」という期待の結果であったと思います。
しかしその政権交代の結果明らかになってきたのは、ごくまともな(近代先進諸国では当たり前の)ことごとが、実は日本ではかなりの苦労を伴うようだと分かったことです。


それほどに日本は本当の近代化が果たせていなかったのだろうと考えるしかありません。
日本人が自分たちの意思と結束、団結をもって自分の国を守り、発展させてゆきたいと本気で思っているのかどうかすら、私には確信が持てません。自分の将来をいつも誰かに任せてしまっている態度のひとがあまりに多いのではないか・・・。


そんな日本が、欺瞞だらけ、うそつきばかり、権謀術数うずまく国際社会で、上手に立ち回り、生きてゆくにはどうすればよいのでしょうか。
あるときは正義を声高に叫び、あるときは何も聞こえないふりをし、あるときは蒙昧無知な幼稚な国家を装い、そしてあるときは突如として強硬な軍事的姿勢をちらつかせる。国際社会ではそういうことは普通のことのようです。


漂流するようでいて実はしっかり権利をひとつひとつ獲得してゆく、といった高度な戦略的な振る舞いを日本人が望むのかどうかは、大いに疑問ですが、そういう悪魔のような多重人格を持つのが「世界における国家」の実態なのであれば、人が良いだけで生きてゆくのはどうも困難のようです。(日本人は狡猾だと言われた時代もあったのに、不思議だ。)


日本はどう生きてゆくべきなんだろうか? これを考え、実行するのは政治家であり、官僚であり、しかし、その前にまずは日本国民自身であるはずです。「だれかが先頭に立ってなんとかしてくれる」幻想を即刻捨てる必要があります。
これまでは考えずに済んできた社会の仕組みや国の様々な問題が、次々と噴出し続けている混乱期のわがニッポンです。日本人は今こそ、自分自身で考える、悩む、語り合う、つまり、哲学する必要があるのだと思います。


なんて思ったのですが、私としてできるのは、このことについて友人と酒を酌み交わしつつ語り合うことだけなのです。でも、そこが出発点だとも思うのです。