独立FPの独白ブログ

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神ではない人間の審判

アルゼンチンの英雄マラドーナの「神の手ゴール」は、今やサッカーのルールを知らない人でも知っていそうな伝説です。人生いろいろを経て復活し、世界が注目する大舞台で目立ち続ける「神」マラドーナはどちらかというと「神童」というイメージが強いですね。しかし僕らはマラドーナは神ではなく、ものすごく人間臭い人間であることを知っています。


ところで、「審判」という言葉は様々な分野、場面で使われていてそのイメージも色々です。
「最後の審判」は人智を超えた神の領域。
「国民の審判」は民主国家での選挙をあらわす。
カフカの審判」は一部の青年にとっての哲学的思考のきっかけにもなった小説。
折り合いの着かない離婚調停では家庭裁判所が「審判」をくだします。


昨日のW杯のドイツ対イングランド戦では完全なゴールが審判によってノーゴールとなり、アルゼンチン対メキシコの試合では、テベスのオフサイドを審判が見逃して先制点となりアルゼンチンに流れが大きく傾いた。
試合の行方を時として左右するという点では、サッカーの審判はある種の神なのかもしれません。でもやはり人間だから誤審があるのです。


先日野球のメジャーリーグでは完全試合達成の最後のアウト(完全なアウト)をセーフとしてしまった審判が、試合後に自分の誤審を認めて謝罪しました。
「完全な人間はいない」とその謝罪を快く受け止めたガララーガ投手は、完全試合達成以上に男を上げた。
選手も審判もやっぱりみんな血の通った人間同士なのだということですね。


今夜のパラグアイ戦でも神の降臨を待つのではなく日本選手たちは人事を尽くして頑張って頂ければ良いのです。頑張ろう、ニッポン!