独立FPの独白ブログ

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「ひとは見た目」と言いますが・・・

米大衆紙「豊田社長のお辞儀の角度が浅い」
アメリカの大衆紙(ニューヨーク・ポスト)は、「トヨタ自動車」の豊田章男社長が日本時間9日にリコールを発表した際の会見について、「お辞儀の角度が浅かった」と指摘した。
豊田社長が謝罪した際のお辞儀について、「上半身の角度は60度だった」とし、「たった40度だった先週末のお辞儀よりも誠意がこもっていた」とする記事を掲載した。一方で、「日本で謝罪の際に必要とされるお辞儀の角度は75度」と紹介、「そこまでまだ足りていない」と指摘した。(日テレNEWS24:10日)


この記事がマジメな記事なのかウケ狙いなのか不明ですが、少なくともこの情報はアメリカ国内のみならず世界中に流れたことは事実ですし、トヨタにとっての何らかのマイナス要因となったことは間違いないでしょう。


新聞・テレビが流す情報の影響の大きさは、インターネットの普及(新聞記事がネットで再配信されることを含めて)を伴って日々増してゆくばかりです。著名人や大企業または犯罪容疑者そして政治家たちは「世間の目」に対して敏感であることは昔からの常識でしょう。しかし最近は、その敏感さも尋常なものではとても通用しなくなっているのではないでしょうか。


なにしろ、何かと言えば文句をつけたがる欲求不満の大衆がいて、何か怒りをぶつけるネタはないか、誰か叩く相手が出てこないものかと常時待ち構えているような状況があるものと思われます。
ちょっと生意気な態度を見せた女優とか、ひとまず最初に深々と頭を下げなかった経営者とか、制服を着崩して登場した五輪代表選手とか、ガッツポーズを止めなかった横綱とか、ひたすら愛想のない態度にしか見えない政治家とか、そういう人物が登場するのを手ぐすね引いて待っている狂犬のような人たちがいるのでは。オソロシイ・・・。


そんな状況で「飛んで火に入ってしまう虫」のような人物が、果たして「KY」なダメ人間なのかどうか、はなはだ疑問に思います。みんなと同じようにしていようという気持ちも人間の普通の感覚でしょうけれど、大勢に流されたくないという気分をいつも持っている人間も沢山いると思うし、そもそも「色々なひとがいる」のがまっとうな世界であるはずです。ちょっとずれた人を含めて・・・。


先日、地下鉄でちょっとびっくりしたことがあります。それは私が座っていた位置から見える範囲の乗客の服装(寒い日だったのでほとんどがコートを着た男女数人)の色がほぼ100%黒かったことでした。
この光景をたとえばファッション先進国(?)のイタリアから来た人が見たら、いったいどういう印象を持つのだろうか? この人たちはみんな軍人かしら、またはゴッドファーザー親戚団か?と思ったりするのでは、と想像してしまったのです。


「TPOを意識する」というのはファッションの基本でしょうが、「ちょっと着崩す」というのもファッションの基本のひとつでしょう。それらのバランスを取りつつ自己表現するのはなかなか難しいことですが。
国母選手の「腰パン」姿を単純に似合っていると見えた人もいるし、とんでもなくだらしなく不快であったと感じる人もいるのです。「即刻帰国させろ!!」というテレビコメンテーター氏にはビックリですが、あの人も「食べるために」言っているのでしょう。


私が嫌だなあと思うのは、みんながみんな同じようにパンツを見せて歩いているというような状況です。そういうのは一種の強迫心理であって、あまり健康な感じがはしませんね。ほとんど全員が黒い服装の地下鉄車内ははっきり言って不気味だったですから・・・。(それと、ズボンの裾を引きずって公衆トイレに入る感覚も信じられません。汚い!)



中学、高校時代にズボンの幅を広くしたり狭くしたり、大いにみんなと同じにしたがっていたことを思い出している私です。