独立FPの独白ブログ

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日本人はいつも「キョロキョロ」

先日紹介した内田樹氏の新刊「日本辺境論」が売れているようです。著者が仰るには、ここに書かれている日本人についての評価や分析はこれまでにも何度も言及されているものだというのですが、私にとっては大変新味に満ちた興味深いものなのです。なあるほど、考えてみればその通りだなあ・・・と思うことばかりです。


元号が平成と変わって以降20年あまり、バブル経済が崩壊し、東西冷戦構造が変わり、そして異常に長い不況に陥り、多くの日本人が《自らのアイデンティティを求めて》あるいは《長いトンネルの出口を求めて》さまよい続けているような気がしていました。私自身もその思いに影響されて文化や思想や社会などの本を読むようになったわけです。


国民としての歴史の浅いアメリカ人などと比べれば、長い長い民族の歴史を積み上げてきた日本人であるはずなのに、どうしてこんなに自国民の拠って立つところを見いだせないのだろうと疑問を持ちながらも、自分自身も「日本人とは何なのだろうか??」を考える頻度が急に高まったここ数年でした。もちろん、回答は見つかりません。


いわゆる「高度経済成長の波」になんとなく乗り続けていた数十年が終わってしまったあとに「次に乗るべき波」を探し求めているというような不安定な感覚。アメリカという大国の道具として洗脳されてしまったのだろうかという妙な気分。これらの疑念についての明確な答えのひとつが、日本辺境論には書かれているような気がします。以下は本文からの引用(要約)です。

世界的に見ても自国文化論の類がこれほど大量に書かれ、読まれている国は例外的でしょう。「こんなに日本文化論(自国文化論)が好きなのは日本人だけである」とよく言われますが、その理由は実は簡単なんです。私たちはどれほどすぐれた日本文化論を読んでも、すぐに忘れて次の日本文化論に飛びついてしまうからです。……私たちが日本文化とは何か、日本人とはどういう集団なのかについての洞察を組織的に失念するのは、日本文化論に決定版を与えず、同一の主題に繰り返し回帰することこそが日本人の宿命だからです。日本文化というのはどこかに原点や祖形があるわけではなく、日本文化とは何かというエンドレスの問いかけのかたちでしか存在しません。

「いつもきょろきょろして新しいものを外なる世界に求めている態度」こそが日本人のふるまいの基本パターンであり、個人レベルでも国家レベルでも変わらない。そして、その性格こそは「辺境の国」としての特徴である、という基本スタンスがこの本には貫かれています。


経済成長という波乗りが終わったから、あるいはバブル経済が崩壊したから、または国際関係上の立ち位置が不明瞭になったから、日本人はその拠り所を見失ったというわけではなく、我々日本人はもともとの性質として「キョロキョロしている」らしいのです・・・。


世界に冠たる経済大国を目指すという目標も、平和推進を目指す「被爆国、兼、非核武装国」という立ち位置も、大国アメリカにとって都合の良い「無害で有益なおとなしい同盟国」の役割も、きょろきょろしては見出した自分の生き方であったらしい。


この本は、このような理屈をもとにして「日本を悲観する」ものでは決してありません。むしろ、「とことん辺境で行こうじゃあないか!」という「これでイイのだ」という気分に満ちていますから、誰もがはじめから終りまで明るい気分で読めるのではないかと思います。
今年は、この考え方をひとつの基軸にして仕事や生活を組み立てて行こうかなと、辺境人の特長を生かして混迷の世を乗り切ってみようかしら・・・というようなわけで、新年の抱負とさせて頂く次第です。ホント、面白いですよ!