『 世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからないのである。』
これは分子生物学者にしてベストセラー作家ともいえる福岡伸一教授の最新著作「世界は分けてもわからない」の最終章を締めくくる一節です。
自然界には人間の理解の限界を超える事物が溢れています。そのあまりの巨大さ膨大さに対抗すべく我々は、そもそも一体であるものをいくつもの部分に分けて、その部位ごとにとりあえず理解しようとしているようです。
たとえば、私は「宇宙とはどんなものか」を即座に説明することができません。「地球があって、月や火星や太陽があってね、そして星雲とかええと銀河系とかっていうのがあって・・・・」なんて色々な星の集まりのそのまた集まりの大きな大きな何か、が宇宙だと思います、というくらいのものです。
人間の身体にしてもどこからどこまでが胴体で、どこから先が手だとか脚だとかは一応便宜上分けてあるだけであって、実際にはくっついていますよね。(それにしても人体は60兆の細胞からなっているというのは、まさに宇宙同様に理解不能な世界です)
部分というのがあって、それらの合体した全体があって・・・という具体に「分けて」表現しないと話ができないことは多いですね。しかし、本当は部分部分にくっきりと分かれているのではないし、くっついているというのでもない・・・。
部分とはなにか全体とはなにか、そして全体自体も実はあるものの部分である、というようなことを考え始めるともう訳がわからなくなってきます。
こういうことを考える学問といえば「哲学」が想起されますが、冒頭の哲学的文章の作者は分子生物学の専門家です。
この人本当は文系じゃないの?と言いたくなるほど文章のうまい福岡さんの一連の著作を読んでいつも思うのは、科学や学問を「文科系」と「理科系」という分類で区切るのはそもそも間違いなのではないだろうかということです。
理系か文系か、右か左か、資本主義か社会主義か、中央か地方か、賛成か反対か・・・
なにかとふたつに分けたがる私たちですが、「どっちか一方」という一見明快な、しかし短絡的すぎる分け方は、人間社会ではあまり有効とはいえないのではないでしょうか?
先般世界陸上で金メダルを獲得した「女子」選手の生物学的性別が話題になったように、男と女だってその境界線は決して明確ではないわけです。
・・・・・これからの日本の政治も「民主党か自民党か」というだけではないだろうと思ったりするのです。
- 作者: 福岡伸一
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