独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

超ノンポリからの脱却(1)

私は45歳くらいになるまでは完全無欠のノンポリでした。「○○主義」とかはなんのことやら皆目分からず「△△理論」とかは見て見ぬ振り「□□的歴史観」などというものは知らぬ存ぜぬで押し通していました。自民党、社会党社民党共産党新党さきがけ民主党、そして関係ないのに公明党にすら投票したことがあります。新聞も、毎日、朝日、日経を定期購読したことがあり、地元のお付き合いで赤旗、頼まれて聖教新聞だってとっていたことがあります。(何故かサンケイ、読売は未経験です。偶然です)
要するに、まったく節操のないわけの分からぬ適当な超ノンポリで中高年まできてしまったわけなのです。


そんな私が「社会の様々な現実に目を向けねば価値ある人生は歩めないかもしれない」とか「資本主義の本質だとか民主主義の方法論などについて悩むことなくして地球の平和はありえず、ひいては自身の人生の安定も望めない」などと思うようになるには、それ相応の段階を踏む必要があった訳なのです。


いい歳をしていつまでも「ノンポリ状態」(=社会について悩まないという意味で)であることは、大人として本来あってはならない思考停止状態ではないかと私は思うのです。色んなことを知った上で分かった上での、静観、不参加、無視というのは一種のポリシーですが、何も知らず、何も悩まず、分からない見えない語らないでは、一体本当に人間なのかどうかさえ分からない、存在価値のあいまいな状態なのではないでしょうか。たった一人で生きてゆくことなど決して不可能な「社会的生き物としての人間であるのなら、やはり社会とは何か、個人とは、幸福とは、平和とは・・・・と正解のない設問について悩み続ける以外に生きる道はあり得ないように感じるのです。


そういう訳で、私が中高年になるにつれ少しだけ超ノンポリ状態から抜け出し始めたプロセスを、つたない読書履歴で辿るとどうなるかを振り返ってみました。ひとりのオッサンの稚拙な思想的成長過程など誰も興味はないでしょうが、フムフムと思ってくれる人も中には居るかも知れませんから。



「うかるぞ社労士」(週刊住宅新聞社)
「出る順:社労士」(LEC)

社会保険労務士資格試験勉強の過程では「引っ掛け問題ばかりの資格試験の切なさ」を味わうと同時に「法律の複雑さと曖昧さとわざとらしさと分かり難さ」を嫌と言うほど知りました。法律がこんなにまで分かりにくいのはひょっとすると、法律解釈などで飯を食っている人が失業しないよう、わざとそのまま放置しているのではないかとも疑ってみたりしました。また、労働基準法の時間外労働の規定などを知るにつけ、以前勤めていた会社など完全に毎日が違法だったのだということにも愕然としたものです。「名ばかり管理職」問題など今に始まったことではありません!


適正な労働条件を確保することも、健康保険を使って治療を受ける権利も、所得から税金を取られる(納める)義務も、全ては法律の規定が根拠になっているのです。そんなことすらも明確になっていない状態で、私は中高年になってしまったのです。例えば自分自身の給与明細の意味について説明できる会社員がどれだけいるでしょうか? 特に意識することなく所得税を納めているなんてことで良いのでしょうか? 私のノンポリからの目覚めの第一歩となったのは「社会保険について知る」ことでした。社労士試験の4回もの不合格は決して無駄ではありませんでした。(負け惜しみデス!)