独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

自分で考えるための読書(9)〜正しい保守主義

自由と民主主義をもうやめる (幻冬舎新書)

自由と民主主義をもうやめる (幻冬舎新書)


このところ立て続けに良い本(私にとって)に巡りあえていて私は非常にラッキーです。
個人と社会の関わり方について考える「14歳からの社会学」、庶民と政治の関係の基本を知る「若者のための政治マニュアル」の2冊に続いて、我々の住む日本の立場、世界との関係などを考えるきっかけを与えてくれる本に出会いました。それが「自由と民主主義をもうやめる」という少々「エッ」と思わせるタイトルの佐伯啓思さんの新刊です。

以下、本書を読みながらチェックをいれた箇所の主旨を紹介します。

  • アメリカは基本的に徹底した「進歩主義」の国である。進歩主義とは「人間の合理的な理性の力によって世界をより合理的でより幸福なものに作り上げることが出来るし、それを目指すことが最重要であるとする価値観である。こうした考え方が「市場は万能である」とか「民主主義こそ人類最高の正義」という思想に結びついている。(アメリカには本来の意味での保守主義はありえない。よって、日本において「親米保守」という立場は本来はありえない。)
  • アメリカの世界戦略の背景にある拠りどころ(国としてあるべき姿)は「自由と民主主義を全体主義・ファシズムから守る」というのが根幹にある。例えば原爆という大量破壊兵器を利用して行った広島・長崎の大虐殺も自由を守るための手段という理屈のもとで(アメリカでは)正当化される。
  • ファシズム国家であった日本は終戦を期に民主国家に生まれ変わったのだ」というストーリーを受け入れることで、国際社会の中で「一種の手打ち」をしてしまったために、日本人の心の中ではいつまで経っても戦後を引きずっていて、キチンとした整理がなされていない。(そんなわけなので、軍備について、安全保障について、国際交渉について、地球上の利権の奪い合いについて、堂々と論戦を張ることが出来ない状況が続いているのです)
  • 「愛国心」という言葉の意味を正しく理解する必要があるだろう。国を愛するという時の「国」には「国家」の意味もあれば「国民」の意味もあり、両者は明確に区別されるべきである。(「人間の覚悟」で五木寛之さんが主張する”国は愛するが国家は決して信用しない”ということとも通じるものです)


自由主義」や「民主主義」が絶対無二の正義であるかのように感じていることには大いに問題があると私も思います。自由や民主主義についての様々な思想の流れや現代の多くの議論を知る必要性があると痛感しました。


全体として「日本が日本らしさを取り戻し、日本らしさを主張し、発揮してゆくことによって世界の中の位置を確保する努力をしよう。という日本人への呼びかけであるように感じます。
単に情緒的でノスタルジックな感覚の「日本の見直し」ではなく、冷静で緻密な思想史的分析、視点からの指摘にモヤモヤが少し晴れるような思いに至った私でした。薄いし読みやすいし、お奨めです。