独立FPの独白ブログ

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■海外ミステリの限界

海外の小説の場合には、オリジナルがどんなに素晴らしい作品であっても、その翻訳家の力量次第で駄作になってしまうこともありうる、これが翻訳本の恐ろしいところです。


かなり昔のことですが、シドニーシェルダンという作家の一連のベストセラー小説が大々的に次々に翻訳刊行されたことがありました。英語の通販教材としても有名だったので、「ゲームの達人」や「明日があるなら」など覚えている人も多いでしょう。
小説自体はいささか出来すぎのストーリー展開に終始している感もある、ハラハラドキドキ系、ジェットコースター系の「ページを繰る手が止まらない」徹夜本ですが、そのことよりも「超訳」つまり「これまでなかったような大胆な意訳」を売りにしていたことが強く印象に残っています。
そういうことが「売り」になるくらいですから、うまい翻訳本にめぐり合うことはなかなか容易でないのが実情なのでしょうし、また、翻訳された文章に違和感を感じつつ読むのでは、ハラハラドキドキ感も覚めてしまう事になりますね。


「ABC殺人事件」の新訳でかなり疲労感をおぼえた後、「古い骨」、「ギドリントンから消えた娘」、「事件当夜は雨」と続けて翻訳ミステリを読みました。このうちの2冊はまずまずの印象で翻訳がおかしいとか下手だとかはあまり感じませんでしたが、それでもどうしても何かしっくりこない感覚は否めませんでしたし、最後の1冊については今後はぜひ違う人の翻訳にしたいと思うほどでした。


もともと英語と日本語では、表現法、語彙の豊富さ、形容の仕方なども大きく異なるし、なんといっても「主語・述語の並べ方が逆」だったりもするのですから、翻訳と言う仕事はきっと相当に難しいものなのでしょう。
特に小説の場合には、翻訳技術以前に作家としても能力が備わっている必要もあるのだと思います。
また、文章の流れが醸し出す雰囲気などを伝えるためには、その国の国民の意識だとか歴史的文化的背景の違いが決定的に阻害要因となることもあるでしょう。訳しても訳しきれないという限界があるのかもしれません。
だからこそ、良い翻訳本に出会った時の喜びは大きいとも言えそうです。