独立FPの独白ブログ

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■愛国心論議

愛するということの定義より、心と態度との関係性についての議論より、国の在りかた、国の役わり、国の向かう方向、国民に対する国の態度・・・・といった根本的な議論が先になくては何も意味が無いんではありませんか!
私はスパルタ大好きの今の都知事さんは好きではありませんが、教育基本法に愛国心涵養をもりこむことについて「ナンセンス」と切り捨てたことは大変好もしく思いました。

国という言葉から「国家」「統治システムとしての国」「お上」というイメージが浮かぶ国民ほど民度が低いのだという表現を耳にした記憶があります。
今の日本では、「国を愛する」というフレーズから「私が生まれて育った郷土」を思い起こすよりも「政府」「お役所」「霞ヶ関」或いは「大日本帝国陸軍」などを想起する人のほうが圧倒的に多いのではないかと想像します。


国を愛する心の問題の議論以前に、個人と国との関係性の問題、それを大枠で規定する憲法の成り立ちや内容についての問題を、国民ひとりひとりが考え、悩み、みんなで話し合い、意見を調整してゆくという土壌の醸成があるべきでしょう。


自分探しのテーマを追い続けて終わっしまう人生かも知れませんが、「自分」は間違いなく自らを包み込む世界を意識する主体なのであるし、「自分」は自分だけでは生きられないから「他者」と手を取り合うのだし、沢山の自分が集まって社会を、国を形成する一要素となっているのです。


自分の有り様を考える時、同時に他人のこと、社会のこと、国のこと、地球のことを考えるのが自然の流れと言うものでしょう。そうした思考のなかで国を大事にしたいと思う気持ちが自然と沸き起こってくるのではないかと思うのです。


本当に問題なのは「国を愛する心が希薄」ということなのではなく、少なからぬ国民が、自分で考えなくなっている状態のほうだと思うのですが・・・。
国民の思考停止は国家機能を止めてしまうのです。
今日はなんだかよくわかんない・・・・。