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独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

■他者の気持ちを想像する力

私がガキのころから、世間で言う「アタマが良い」というのは殆どの場合に学校での試験の成績が良いということと同義でありましたが、社会人になってからの「アタマの良さ」の定義は以前とは若干異なってきたように思われます。


円周率の数字を何万桁まで覚えているとか、5桁の掛け算を5秒で解けるなどというのは、昔の私なら「アッタマいいねえ」と単純に感心していましたが、最近はそうは思いません。こういうのは脳の特殊な能力であって、素晴らしいものだと思いますが、「アタマが良い」というのとは次元が違うと思います。
所謂お勉強が良くできたはずの複数の人間達が寄り集まってあのサリン事件を起したのですから、成績が良いことと本当のアタマの良さとはあまり関係が無いとさえ思います。


ひとそれぞれに定義は違うでしょうが、私の認識では、アタマが良いということは「論理的思考ができること」、「他人の考えを理解できること」、「他人に物事を伝えることが上手い」ということですね。 ですから、大学の講義などで話し方、伝え方がド下手な教授などは私にはダメ教授としか思えません。 どんなに素晴らしい研究成果を持っていたところで、非常に有益な考え方を知っていても、それらを人にキチンと伝えることができなければ何の意味もありません。面白おかしく話しをするとかいうことではなく、重要な事実とか学問の楽しさなどを伝えようという熱意があるかどうかという問題です。
(ここはかなりの異論もありそうですが、まあ、今日は流してしまいます)


人になにかを上手く伝えるためには他者の感じ方、考え方などを理解する能力が必要です。
そういうわけで、もっと絞り込んでしまえば、「他人の話しをちゃんと聴けるひとは頭が良い」ということになります。
会話の途中で、もう自分の意見を言いたくて言いたくて我慢ができない様子の人を時々見かけます。人の話しを聴いている振りをしているだけで、結局は自分が発言するきっかけを待ているだけという人間がいますね。
表現ではなくただの表出であり、語り合うのではなく言い放つのみ、こういう人間に出会うと、その日一日が虚しく思えてしまいます。


15年ほど前にソニーの盛田さんのスピーチで、より良いコミュニケーションのためには、まず相手の感性にチューナーを合わせよ、という言葉がありました。更に「聴き損じは話し手の粗相」という言葉をつけ加えられ、これが今でも非常に強く心に残っています。


パソコンについての知識レベルが全く異なる友人から、ネットワーク接続が上手く立ち上がらないので、見に来て欲しいと電話があり、(今日はヒマだったので)すぐに飛んでゆきました。ソフトの再インストールとかプロトコルの確認とかシステムの復元、場合によってはウインドウズの再セットアップまでも覚悟をして出かけて行ったのです。 ところが実際には何のことは無く、彼がログインパスワードの「9」と「Q」を間違ってメモしていただけだった事がすぐに判明したのです。肩透かしでした。


パソコンの操作について初心者から質問されると、どのレベルでそんな用語で説明すれば良いのかがなかなか分からない事がよくあります。 PCメーカーのサポートセンターなどに舞い込むトラブル相談に対して、電源コードは抜けていませんか、と対応するというのがありますが、まさにそういう感じですね。 かれから電話をもらった時に、文字の間違いが無いようにもう一度パスワードを・・・・とひとこと言っていれば即刻解決した話しなのです。


他人の感性や感覚、考え方を想像する能力や想像しようとうする努力が必要なのですね。
なかなか難しいですけれど、そういう努力をしないのであれば、もはや人間としての価値はないように思えます。


思いやりは人間の特技なはずなのです・・・・・。