読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

独立FPの独白ブログ

この世界を少しでも美しい姿で後世に引き継ぎたい!

焼酎飲んで、九州を応援するのだ!

最近5年ほど、家飲みはほとんど麦焼酎です。f:id:fpclu:20160422174618j:image

焼酎と言えば芋、麦、米焼酎ともに九州地方が産地ですが、何気なく今飲んでいる一升瓶を確認したら、なんと熊本市南区産の麦焼酎でした。大地震の直前に「ふむふむ、《なんでんかんでん》ではなく《なんじゃかんじゃ》なのね」と、ちょっと興味があり、試してみましょうとたまたま買ってみたのでした。なんだかとてもうれしくなりました。すっきり飲みやすくクセのない麦であります。これが空いたら、また買おうと思っています。

サクラ! まだかい?

f:id:fpclu:20160321162607j:imageサクラサクラってうるさいよ! 咲くときゃ咲くよ。なんて思いながらも、日本人のこういうところ、嫌いじゃあありません。東京の開花宣言を受けてついつい気になって私も散歩に出たわけです。
多摩地区にある我が国立市は都心よりも3〜4度は気温が低いので、やはり開花はまだなのでした。わたし的標準木の大学通り歩道橋そばのサクラはこのとおり、まだまだ0・01分咲きってところ。預金金利みたい、殆ど無しであります。

国立サクラフェスティバルの頃は、ちょうど満開少し過ぎたくらいと予想します。やはり楽しみです!

過剰包装? でも、便利だからなあ!

f:id:fpclu:20160131121114j:image

上の写真はある家電量販店ネットショップから届いた商品を玄関で開封したところです。右奥に置いた緑色のものが、いつも使っているプリンター用紙6束を平積みにしたもの。手前にあるのは厚手の紙を折りたたんで出来ている緩衝材です。この緩衝材の大量の紙と商品が左奥の段ボールに入っていた訳なのですが、どうにも不思議なバランスに見えます。

自営業の私としては、事務用品や文具やパソコン関連品などの経費はすべて自腹ですから、出来るだけ安く仕入れたいのです。するとどうしても安さとそして便利さから、ネット通販ショップに注文することが多くなります。そして品物が届いて梱包を解いた時には、このような「過剰包装的梱包状態」に驚愕することが多いのです。

保険会社から送られてくるパンフレットやら契約帳票なども、本体:梱包=1:10などのバランスであることがシバシバです。一見無駄に見えるこのバランスですが、これは決して非効率なのではなく、徹底して効率化を図った結果であろうと思います。

梱包を解いて、緩衝材を資源ごみようにたたんだり紐で縛ったりしながら、なんだか地球の大事な資源を無駄使いしているような罪悪感に襲われます。緩衝材にされているのはおそらく再生紙であり、何度も再利用されているのだろうとは思いますが、どうにもこれで良いのかなあと考えてしまうのです。

資源問題、環境問題は、ごみ問題とイコールです。再利用している梱包材などはまだ罪は軽い、捨てられないゴミを大量生産してしまう原子力発電に比べれば・・・などと考えてしまうのは私だけでしょうか・・・。

 

節目の一年が終わります・・・

今年も残り10時間を切ってしまった。ということはあと半日で新しい年になるということだ。だからやはり、ちょっとだけ振り返ろう。
f:id:fpclu:20151231153130j:plain
先の大戦終了(日本の敗戦)から70年の節目の年に、日本は世界の中で少なからず認められていた非戦国というブランドを捨てる表明をした。そしてその国家戦略(らしきもの)の決め方に於いて、国民主権立憲主義、法治国という近代的国家観が、日本にはほとんど根づいていなかったという驚愕の実態を明らかにしてしまった。日本の教育で長年にわたり現代史(特に戦中戦後史)をまともに教えてこなかったこと、民主主義の本義や個人と国家の関係性などをほとんど教えてこなかった成果(国にとっての成果)が、見事に現実化したと思われます。

つまり「日本には自立した国民があまり存在しないので、権力を握るものはほぼ彼らの思い通りに事を進められる(ただし米国の意向に沿わないことは除いて・・・)」ということがはっきりした。
日本の本質的問題を分かりやすくあぶり出してくれたという点で、そして多くの一般国民にそれを気付かせたという点で、現政権の、特に首相の功績は非常に大きいと思う。日本の敗戦70年の節目の年は、これまで以上に、日本がいまだ近代国家にはなっていないことをみんなで確認できた貴重な1年でありました。
というような訳で、悲しい、情けない、というよりもむしろ、覚醒の始まりの年であったという、喜びの感覚で今年は締めたいと思うのです。


朝刊を読んでいたら、今年亡くなった著名人の特集がありました。既に忘れかけているけれど、今年も実に沢山のビッグネームがこの世を去っています。名前を挙げ始めたらきりがないのですが、私として最も印象深い方について一人だけ触れてみたいのです。その人は作詞家の岡本おさみ氏です。
訃報のニュースの中で多くのテレビ・ラジオが森進一の(という紹介で)「襟裳岬」を挙げていたけれど、私が真っ先に思い起こしたのは、「祭りのあと」や「旅の宿」を筆頭によしだたくろうの一連の曲でした。結構暗めだった私の青春時代、夢中なって聞き、ギターフレーズを覚えてこっそり一人で唄っていた数々のたくろうソングです。拓郎さんが岡本おさみさんとのコンビで作った曲を中心に、記憶に残っているものを挙げてみます。

蒼い夏
歌ってよ夕陽の歌を
襟裳岬
おきざりにした悲しみは
悲しいのは
からっ風のブルース
君去りし後
こっちを向いてくれ
暑中見舞い
制服
夕立ち
旅の宿
地下鉄にのって
野の仏
ハイライト
花嫁になる君に
ビートルズが教えてくれた
ひらひら
また会おう
祭りのあと
まにあうかもしれない
落陽
リンゴ
ルーム・ライト
竜飛崎

聖なる場所に祝福を
アジアの片隅で


いい唄ばかりだなあ・・・どうです、拓郎ファンでも、ああこれもだったのかあ・・・と感嘆するでしょう。
そしてもうひとつ、私もちょっとびっくりしたのが、泉谷しげるさんの名曲「黒いカバン」です。
心に残る沢山の詩を有難うございました。ご冥福をお祈りします。

おいらもひらひら お前もひらひら あいつもひらひら 日本中ひらひら~~~

では皆様、良いお歳をお迎えください。

漫才日本一かあ・・・

f:id:fpclu:20151206215403j:plain
昨夜はJリーグ日本一決定戦をテレビ観戦し、野球の方で果たせなかった願いが叶ってサンフレッチェ広島が日本一になって、感嘆しました。
一夜明けて今日は漫才の日本一決定戦。5年ぶりに復活放送のM1グランプリのファイナルは第一ステージはみなさんとっても面白く、レベル高いなあと思いながら見ていました。しかし、どういう訳か、最終決定戦に残った3組のネタはどうもイマイチで、なんだか不思議な終わり方だったと感じた次第。
3組に絞ったことが間違いだったような気がするのです。トレンディエンジェルは嫌いじゃないけど、日本一の漫才かなあ・・・と。
まあ食べ物と同じで、お笑いの感じ方は人それぞれだからなあ・・皆さんどうでしたでしょうか?

個人・国家・世界について書きたいことは山ほどあるのに・・・

ブログに書きたいことが沢山ありすぎて、というより書こうとすると次々と思いがあふれ出てきてまとまらず、考えをまとめてから書くことにするといつまでも書けない・・・という状態がここ数カ月続いている。やはり、文章を業としているプロはすごいのだなあと、当たり前のことを感心しているようなわけなのです。


何か意見を述べたいと思う対象をちょっとメモってみると・・・

そもそも国民の半分しか投票しない選挙で一応当選した国会議員が、国民の代表であるということがどうにも感覚的に納得できない。

最高裁から憲法違反の状態だと指摘されている国会議員憲法改正とか憲法解釈変更とか言うのは一種のブラックジョークでしょ。

  • 9条を守る

軍事力行使を排する理想を掲げることを私は強く支持するけど、自衛隊がOKという解釈であるなら、そのことについてもきちんと言及すべきじゃないのかなあ。集団的自衛権違憲と思えるし、その前に自衛隊違憲と思うけどなんで議論しないの?・・・。

近代の憲法は権力の暴挙から国民を守るために権力を縛るのが本質的な役割、ということが日本国民共通の理解になっているのかは非常に疑問だ。

三権分立ではなく本当は全部お仲間じゃないの? 根回しや抱き込み作戦、多数派工作とかがお家芸の日本人には「熟議」などあり得ないのではないのか、互いの立場を尊重しつつ独立の立場で喧々諤々の議論を交わして最適解をもとめるなど夢のまた夢のような気がする。

  • 平和ボケ

「平和ボケ」というのは正しくない。世界中に戦争をまき散らし続けている巨大帝国の看板持ちというか小判ザメというか、つまり「対米従属ボケ」が正しい理解ではないかなあ。「戦後日本人は一人も殺していない」と言うけれど、間接的にはどれだけの人間を殺しているのだろうか。見て見ぬふりってまずいよなあ。

愛国心と聞くと単純に「右翼活動家」「保守政治家」「軍国主義」などのイメージが浮かぶ人がとても多いように思うが、本当の愛国心とは何かと自問自答してみたことがあるだろうか。 私にも愛国心があるんだろうか。

自由といえば聞こえが良いが、黙っていると放蕩、放置、傲慢、暴走、そして行き着く先には大量自滅が待っているのではないか。
また、自由の獲得のためには必ず暴力(権力など)による牽制が必要となり、自由が束縛されるという矛盾をどう考えれば良いのだろう。

  • スポーツの感動

スポーツの祭典にはいつも単純に感動してしまうが、五輪もW杯もみんな金まみれ、結局、運動能力に優れた人間たちを金儲け能力に優れた人間たちが、もっと金持ちになるために利用してしまうのがどうにも悲しい。そもそも大衆の不満解消のガス抜きから始まったらしいという歴史も悲しい。

  • 戦後教育

民主主義とか三権分立とか戦争の歴史とか個人と国家とか個性と連帯とか・・・ちゃんと教わった記憶がありません。 個人が自立して自分の意見を持ち社会を構成してゆくというような「近代的な国家感」などを自分で考えられるような人間が、一人でも増えないようにという基本方針のもとに組まれたのが戦後日本の教育システムであるに違いないと思うなあ。


それから・・・
原子力発電、米軍基地、航空管制、思いやり予算地位協定日本国憲法、貿易交渉、英語教育、郵政民営化、農協改革、金融ビッグバン、尺寸廃止、給食のパン食、人間宣言、航空機技術、顔の見えない日本人論、終身雇用批判、雇用流動化、商店街の衰退、大規模店舗法、独占禁止法・・・・・


これらの事象が示すことは、「日本の構造」の重要な部分はすべての分野で、あの超巨大帝国の世界戦略に沿って決められているという「日本の真実」です。このことに気付いたのは10年前、私にそれを教えてくれたのが関岡英之著の文春新書「拒否できない日本」でした。私のモヤモヤはここから始まった訳なのですが、おかげで、社会のこと、国のこと、世界のことを知りたいと思う気持ちに火がついて、色々と勉強することになったのです。心から感謝しています。
これからも少しづつ少しづつ人間のことを理解できるようになりたいと思います。ますます分からなくなるだけかも知れませんが、分かりたいという気持ちを持ち続ければ良いと思うのです。


書きたいけど書けない状況から脱出して、さあ、思いつくままこれからも書いてみようと思う今日この頃であります。
10年前に私の頭をガツンと殴ったこの書籍を再度紹介です。 私の遅ればせながらのお勉強はここから始まったのです。

拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる (文春新書)

拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる (文春新書)

幼年期は終わらない・・気がする

国会前、最大規模の集会 市民ら安保法案に反対
 安全保障関連法案に反対する市民団体が30日、国会近くで集会を開いた。同法案に関する抗議行動では最大規模で、主催者は約12万人が参加したと発表。雨の中、参加者は国会議事堂を取り囲み、車道にもあふれた。一斉行動も呼び掛け、主催者によると全国200カ所以上でデモや集会を実施。反対の民意の広がりを強くアピールし、安倍政権に廃案を求めた。(東京新聞2105.8.31)

夏の終わりの日曜日に全国で展開されたデモや集会に関して、日本社会に変化が起きつつあるという見方を語る人もいます。これだけの大規模な政治的抗議行動は日本ではとても珍しいことだ、という主旨の報道が複数の海外のメディアから出されてもいます。
f:id:fpclu:20150831171144j:plain
この写真と冒頭のニュース文章はいづれも東京新聞のものです。私は数年前に朝日新聞から切り替えて東京新聞を購読していますが、8月31日朝刊の一面が次の写真です。一面トップほぼ全面の扱いで、他に社会面などでも関連記事が載っていて大変に大きなニュースの扱いです。f:id:fpclu:20150831172414j:plain
さて、新聞を複数読んでいる一般市民は非常に少数でしょうから(っていうか、そんな人いないよね!それが商売でない限り)このニュースについて新聞によって扱い方が大きく違うことを知らない人も多いでしょう。例えば産経新聞や読売新聞ではこの日のデモや集会はちょっとした出来ごと程度の扱いであったと、ラジオ番組で知りました。新聞は中立・公平なんてことは絶対にないのです。


また、ある有名政治家は「こんなに少数のデモで国の政策が左右されてはならない」とツイートしたらしい。また、ある有名な漫画家氏は「デモの映像を見て首相は却って張り切っている。おじいちゃんのように、愚民に負けない立派な宰相だと評価されるように頑張るだろう」というものです。おなじ出来事に関しての見方が、そして伝え方が、こんなに違うのです。 私は10年位前からマスコミ報道に公平中立なんてありえないと考えていますし、むしろ大事なのは受け取る側がそういうことを自覚することでしょう。新聞社にはそれぞれの立場があり、テレビ局には色々な事情があり、みんな自分が生きるために日々を送っているのです。


私は今の政権がやっていることの多くについて反対だし、国家主義的な考え方と米国従属温存のこの政権が早く終わってほしいと心から望んでいます。しかし、それは私個人の考えであるに過ぎず、そんな考えは非現実的で愚かだと断言する人が沢山います。 自立した国民が国家を形作る、つまりあくまで国民主権が近代だということになっていますが、国家があってこその国民だという考え方も確かにあります。人を殺したり殺されたりしたくないので私は戦争絶対反対だけど、自由を獲得するためには戦争の覚悟も必要だという考えもあるのです。
それらの意見の対立は左対右のガチンコ対決なのではなく、様々な考えの共存状態なのだと受け取るしかないのでしょうし、そして異なる意見を擦り合わせて妥協点をさぐる議論を継続するしかないと思います。


私は私の考えについて共感を得たいと欲してはいますが、しかし、みんなが共感することなどはあり得ないことにも気づきました。繰り返しますがこんなにも異なる意見、異なる見方、異なる伝え方があるのが現実なのであって、同意、共感、異論、反感をすべてひっくるめての人間社会、そこに私たちは暮らしているということを、みんなが自覚してほしいと思うのです。


今のところ人類は対立を無くす手段を見出しておらず、また対立をメシの種にして生きる者も後を絶たず、よっていつまでも戦争は無くならないでしょう。人類はまだ当分の間は幼年期のようです。 対立は続くけれど、できるだけ犠牲を少なくする方向で話し合い、付き合い方を工夫する努力をするしかないと思います。
思えば、そんな人類の宿命を、何となく気付かぬ振りで、他人事で過ごしてきてしまったのが戦後70年の島国日本の真相なのかなあ、とため息の出る夏の終わりです。